家族旅行は楽しかった。
幼稚園大好きなランは、旅が終わったら終わったで、一週間ぶりに至極うれしそうに登園した。
しかし、4月から失業中のリーは相変わらず在宅時間が長い。自分から辞めたため、失業保険も出ない。
それですぐ生活に困ることはないにしても、大の男がおてんとさまの高い時間にずーっと家におり、毎日昼寝付きの生活を謳歌しているのに違和感を感じずにはいられなかった。
食品関係の仕事がダメだと結論付けられた今回の旅行。
だが、数人の友人から仕事を紹介する話は来ていた。
そのうち、私と共通の元同僚が誘う会社の面接を受けることになる。
台湾大手の映画会社社長の御曹司がケータイ関係の会社を作るらしく、全く畑違いでもないリーに声がかかったのだ。
他にも、もっと大きく安定した企業の面接を受ける機会にも恵まれたがそういうところには採用されず、結局映画会社の御曹司が社長になる駆け出しの会社に入る流れになる。
まあ、とにかく、働き口があるだけいい。この異常な状態から解放されるだけでも御の字だと思えた。
リーの気持ちを思い計れば、あまり急かすのも申し訳ないが、私がリーに恋をした大きな要因の一つは、バリバリ仕事ができるひとだったことなのである。
2010年02月14日
『阿振肉包』にはかつて日本人が弟子入り。帰国後、東京で店を構えた。やさしい饅頭と肉包の味を、台北帰宅後いただく。家族旅行、無事閉幕。
『阿振肉包』で買い求めたのは、饅頭と肉包だった。
饅頭とはいわゆる蒸しパンだが、日本の甘いお菓子風のものはほとんどなく、食パンや白飯の代わりになるような感覚で食される。肉包は肉まんだ。
阿振肉包の饅頭はミルクパウダーが入っており、やわらかくほんのり甘い。それが人気の秘密かもしれない。
昔、ここ鹿港を訪れた日本人が阿振肉包の味に惚れ込み、何度も頼み込んで弟子入りし、3年間修業、東京に帰って自分の店を構えたという。
そのエピソードが店頭に書いてあるのだ。日本びいきの多い台湾では、こういうハナシも良い宣伝になるのだと思う。
今もその日本人の店が営業しているのか私は知らないが、興味をそそられる。
中山路を戻り、車に乗り込んだのが午後4時。
途中雨が降り、そんな様子をぼんやり見やりながら私と娘たちはうつらうつら……
さすがにバスよりは早く、6時すぎ無事台北の我が家にたどり着く。
運転手のリー、ご苦労さまでした。
さっそく阿振肉包の饅頭などを広げ、夕飯に。
期待通り、やさしい味で、みなこぞって食べた。
こうして4泊5日の家族旅行は楽しいたくさんの思い出をくれて幕を閉じた。
饅頭とはいわゆる蒸しパンだが、日本の甘いお菓子風のものはほとんどなく、食パンや白飯の代わりになるような感覚で食される。肉包は肉まんだ。
阿振肉包の饅頭はミルクパウダーが入っており、やわらかくほんのり甘い。それが人気の秘密かもしれない。
昔、ここ鹿港を訪れた日本人が阿振肉包の味に惚れ込み、何度も頼み込んで弟子入りし、3年間修業、東京に帰って自分の店を構えたという。
そのエピソードが店頭に書いてあるのだ。日本びいきの多い台湾では、こういうハナシも良い宣伝になるのだと思う。
今もその日本人の店が営業しているのか私は知らないが、興味をそそられる。
中山路を戻り、車に乗り込んだのが午後4時。
途中雨が降り、そんな様子をぼんやり見やりながら私と娘たちはうつらうつら……
さすがにバスよりは早く、6時すぎ無事台北の我が家にたどり着く。
運転手のリー、ご苦労さまでした。
さっそく阿振肉包の饅頭などを広げ、夕飯に。
期待通り、やさしい味で、みなこぞって食べた。
こうして4泊5日の家族旅行は楽しいたくさんの思い出をくれて幕を閉じた。
2010年02月13日
台湾人ならほとんど誰でも知っている1877年創業の菓子舗『玉珍斎』はここ鹿港にある。鹿港へ行くなら、その店のお菓子を買って来て、と義母も頼んだ中華菓子の人気老舗。
暑い。
リーと娘たちはかき氷を食べことにする。私は甘い物が苦手ゆえ、その間にのぞいてみたい民芸品の店やブティックに歩く。
何も買う物はなく、かき氷屋に行くと、3人はまだ氷を囲んでいた。
台湾のかき氷はだいたい丼サイズである。そのチェーン店も然りで、3人は各々にスプーンを握り、鍋でも食べる格好だ。冷たくて甘いデザートが大好きな娘たちは争うようにつっついている。
メインストリートの中山路だけは踏破したが、どうにも暑いし、おみやげを買って帰ろうということになったのは3時頃だった。道行く観光客のほとんどが提げている袋の店に私たちも急ぐ。
その店の名は『玉珍斎』。
1877年、貿易港として黄金期にあった鹿港で伝統の中華菓子を愛する商人・黄錦が泉州からやって来た菓子職人と協力して開いた老舗である。
台湾人ならまず誰でも知っているほどの有名店で、事実、義母が「鹿港へ行くなら玉珍斎のお菓子を買って来て」とリーに頼んだと言う。
羊羹やパイナップルケーキ、蒸し菓子などなど100種類はある。洋菓子にも引けをとらない華やかさがあり、パッケージもいろいろ凝っていてお店を見て回るだけでも楽しい。
おみやげはそこですべてそろえる。
同じ中山路で、リーが蒸しパンを買って帰ろうと足を止める。肉まんなども売っている。看板には『阿振肉包』とある。かつて日本人がここで修行したと書いてあるが、どういうことなのだろう。
リーと娘たちはかき氷を食べことにする。私は甘い物が苦手ゆえ、その間にのぞいてみたい民芸品の店やブティックに歩く。
何も買う物はなく、かき氷屋に行くと、3人はまだ氷を囲んでいた。
台湾のかき氷はだいたい丼サイズである。そのチェーン店も然りで、3人は各々にスプーンを握り、鍋でも食べる格好だ。冷たくて甘いデザートが大好きな娘たちは争うようにつっついている。
メインストリートの中山路だけは踏破したが、どうにも暑いし、おみやげを買って帰ろうということになったのは3時頃だった。道行く観光客のほとんどが提げている袋の店に私たちも急ぐ。
その店の名は『玉珍斎』。
1877年、貿易港として黄金期にあった鹿港で伝統の中華菓子を愛する商人・黄錦が泉州からやって来た菓子職人と協力して開いた老舗である。
台湾人ならまず誰でも知っているほどの有名店で、事実、義母が「鹿港へ行くなら玉珍斎のお菓子を買って来て」とリーに頼んだと言う。
羊羹やパイナップルケーキ、蒸し菓子などなど100種類はある。洋菓子にも引けをとらない華やかさがあり、パッケージもいろいろ凝っていてお店を見て回るだけでも楽しい。
おみやげはそこですべてそろえる。
同じ中山路で、リーが蒸しパンを買って帰ろうと足を止める。肉まんなども売っている。看板には『阿振肉包』とある。かつて日本人がここで修行したと書いてあるが、どういうことなのだろう。
2010年02月12日
台湾海峡に面した鹿港は、かつて港町として栄えた。映画『小南故事』のロケ地になったレトロな町。
活気あふれる老舗・阿国獅を後にして、またしばらく車中でうとうとしていると、鹿港に着いた。午後2時半だ。
車を停め、4人で歩く。
それにしても、どこに来ても暑い。台湾の6月はレッキトシタ夏なのだ。
さて、ここ彰化縣も初めて訪れる。「彰化銀行」というのがあり、結構大きな銀行で、台北でしょっちゅうその黄色と赤の看板を見るが、その縣についてはほとんど知識を持ち合わせていなかった。
台北から車で約3時間半。
鉄道やバスでだと、まず台中まで行き、そこから「彰化客運」のバスに乗り換えるのがいいらしい。
メインストリートの中山路をたどることにする。ほどなく、天后宮が見えて来て、参拝することにする。ここはいわゆる台湾民間宗教の一つの総本山で、年中参拝客でにぎわう。
年季の入った廟で拝んだ後、再び中山路を行く。新しいタイプの店やコンビニなどももちろんあるが、全体的に古風な町並み、いわゆる旧家の構えがそこかしこに見られレトロ、実に「古き良き台湾」を感じる。
鹿港は台湾海峡に面し、18世紀頃は中国から移り住んだ人々や貿易船の往来で非常に栄えた。
また、1979年李行監督による『小南故事』のロケ地となり、テレサ・テンが主題歌を歌ったことで、その名はより広く知られるところとなった。
車を停め、4人で歩く。
それにしても、どこに来ても暑い。台湾の6月はレッキトシタ夏なのだ。
さて、ここ彰化縣も初めて訪れる。「彰化銀行」というのがあり、結構大きな銀行で、台北でしょっちゅうその黄色と赤の看板を見るが、その縣についてはほとんど知識を持ち合わせていなかった。
台北から車で約3時間半。
鉄道やバスでだと、まず台中まで行き、そこから「彰化客運」のバスに乗り換えるのがいいらしい。
メインストリートの中山路をたどることにする。ほどなく、天后宮が見えて来て、参拝することにする。ここはいわゆる台湾民間宗教の一つの総本山で、年中参拝客でにぎわう。
年季の入った廟で拝んだ後、再び中山路を行く。新しいタイプの店やコンビニなどももちろんあるが、全体的に古風な町並み、いわゆる旧家の構えがそこかしこに見られレトロ、実に「古き良き台湾」を感じる。
鹿港は台湾海峡に面し、18世紀頃は中国から移り住んだ人々や貿易船の往来で非常に栄えた。
また、1979年李行監督による『小南故事』のロケ地となり、テレサ・テンが主題歌を歌ったことで、その名はより広く知られるところとなった。

