2010年02月19日

観光名所・中正紀念堂はその名の地下鉄の駅があり便利。だが、駅から紹介石像までは炎天、高いマンモス展入場料にも泣く。

マンモス展へ行ったのは8月12日、「中正紀念堂駅」のある地下鉄なので便利だが、門からその蒋介石が座しているところまでがサッカー場のように広く、一望しただけでめまいがしそうだ。まだ朝9時というのにギラギラ太陽の光が降り注ぎ、娘たちはすでに汗。日陰などなく、まともに歩くしかない。

やっとたどりついたマンモス会場は夏休み中らしく結構にぎわっていた。
容赦ない陽光の次は高い入場料に泣いた。
大人200元、3歳以下は無料でメイはタダだが、ランは4歳で180元も要る。台湾のこのテの入場料としては決して安くない。

気を取り直し、娘たちの手を引き会場に入る。幼い娘たちを楽しませわかりやすくしようとあれこれ説明してやる。入場料の元を取らねばという使命感もあった。
3歳と4歳では無理なのか、娘たちはわかったのかわかってないのかわからない反応だった。はーっ。

日本長期帰国まであと2週間足らず。
実家の母から、ランの幼稚園入園準備について連絡が来るようになった。座布団、コップや歯ブラシやそれを入れる袋、箸に絵本を入れるバッグなど買うもの、手作りするものとあれこれあるようなのだ。
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2010年02月18日

上海移住1年、妊娠中の義妹たち親子が夏休みで台湾へ里帰り。中正紀念堂、蒋介石像のある建物の地下部分でマンモス展開催。

幼稚園を自主卒園し、毎日が週末になったランの子守りが増えたが、家族で上海へ移住した義弟一家のうち義妹と2人の子どもたちが夏休みのため台湾へ一時帰国してきたので、リーはたびたび娘たちを連れて彼らが滞在している義母宅へ行った。
例によって義妹は第3子を懐妊中で、もうそのお腹がかなり目立つようになっていたが、彼女は生来アクティヴで、遊びに出かけるのが好きなタチゆえ、しょっちゅう家にいなかった。悪阻がひどかった私は、リーに、
「彼女、あんなにウロウロして大丈夫なのかなあ?」
と言うと、
「悪阻なんてほとんどないみたいだし、3人目にもなると慣れたもんで何ともないんじゃない?」
……。たしかに。

が、上海の義妹たち親子が台湾へ里帰りするのはその後、旧正月の年一回になった。小学生の2人の子どもたちは学業やピアノ、サッカーの練習で多忙ながら台北へ帰りたがったが、家族は5人に増え、往復の飛行機代は大きな負担となってきたのだ。

さて。アウトドア派のリーは8月の酷暑にもかかわらず娘たちを連れ出したが、私は紫外線も怖くて同行しないことが多かった。
しかし、そんなことばかりもしておられず、リーが出かける日、私はバスと地下鉄で台北市内の中正紀念堂へ娘たちと向かった。
『長毛象特展 TAIPEI2008』〜沈睡18000年的氷原巨獣〜
というマンモスの展覧会が開催されていると友人から聞いたのだ。

中正紀念堂は有名な観光名所のひとつだが、蒋介石像がある建物の地下のような部分には、大小様々なホールがあるのを私はその日まで知らなかった。
マンモス会場はそこであった。
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2010年02月17日

台湾の保育園、幼稚園は8月に新学年度開始。ラン、7月いっぱいで自主卒園、8月25日日本帰国決まる。郵便局でダンボール箱買い出し。

台湾はアメリカなどと同様、各種学校は原則として9月始まりだが、幼稚園や保育園はなぜか8月に新年度を迎える。いわば、7月末日で3学期や学年が終了し、8月1日にはもう新学年や新学期が始まるので、保育士たちは旧正月休みしかまとまった休暇がない。
台北の多くは私立幼稚園のため、その旧正月休みでさえ1週間ほど。園児募集のノルマを課されるようだし、誠に頭が下がるほど気の毒で勤勉である。

ランは入園して約1年。
日本への帰国が8月25日と決まり、7月いっぱい、幼稚園の一学年が終わる7月いっぱいで自主卒園することになる。
担任のヘレンこと陳老師は妹メイの分まで、彼女らのイングリッシュネームを彫り込んだキティのキーホルダーなどをくれて、別れを惜しんでくれた。

ランはとても陳老師を慕い、友達とも活発に遊んでいたので、私は帰国までの間、できるだけ娘たちを幼稚園の園庭などに連れて行ってやった。園のスタッフも歓迎し、放課後教室の中にランたちを招き入れることも多く、ありがたかった。

私とリーは荷物の具合を見はかりながら、郵便局へ行って段ボール箱を買い足していった。3人分、1〜2年分の荷物となるとかなりの量になる。もちろんはじめから航空便など考えない、すべて割安の船便にする。どうやら10箱以上になる勢いである。
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2010年02月16日

母娘3人だけで長期日本一時帰国することに。買い出し、リーの所得証明、パスポート更新などを進める。

じわじわと日本移住の話は出ていたのだが、この頃には私が娘たち2人と日本の実家へ2年ほど帰ることに決まった。これはもともとリーが提案したことに端を発する。肺気腫の持病が徐々に悪化しかけた父が元気なうち、まあ、孫たちと遊べるうちにということだった。1〜2年だったら娘たちはまだ就学年齢に届かず、動きやすいから、今だ!との思いがあった。

とは言うものの、リーは元来大変な子煩悩。そう簡単に娘と長期的に離れることを決意できたりはしない。言い始めた頃は、日本で生計の道が開けるだろうとの楽観的観測があったからだった。
しかし、どんどんその観測は極めて甘かったことが露呈し始め、リーの機嫌が悪くなることがあった。私の両親から日本へ帰って住むよう言われたことは一度もなかったし、リーが嫌なら帰って来なくてよい、とのお達しが来たりした。
その旨リーに伝えても、もう意地になったように彼は母娘で日本へ帰るよう言い張るのだった。

7月。
気が狂いそうな猛暑の中、少しずつ帰国準備を進める。台湾の方がだんぜん安い物を買い出しに出かけたり、公立幼稚園に入るランは問題ないが、保育園は父親の所得により保育料が異なるため、リーの所得を証明する書類などを用意したり、有効期限が少なくなったパスポートの更新も早めにしたりと忙しくなってきた。
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