2010年02月22日

8月25日台北発関空行日本航空625便まで、カウントダウン開始。荷造りに精を出す。東京の出版社から封書、受賞を直感。

帰りのチケットは8月25日午前9:25台北発関空行、JAL652便だった。
さて、いよいよカウントダウン開始、22日にはスーツケースを開き荷を詰め始めた。

2008年のその時点で、大抵利用していた日本アジア航空は無くなり、親会社である日本航空がその路線を運航するようになった。
ちょうど世界的に原油価格が高騰し始めた時期で、各航空会社とも運賃値上げを余儀なくされたが、日本航空もご多聞にもれず、であった。
他にも数社、関空へ飛ぶ航空会社はあるが、幼い娘2人を連れてでは、料金低めながら時間帯が理想的でないそれらはまだ避けたかった。

すでに船便でダンボール14箱を日本の実家へ発送しており、着々と無事に到着し、母がだいたい箱から出したり、日に干したりしていてくれた。
それでも3人分の家財道具は多く、スーツケースもすぐいっぱいになる勢いだ。2本の二胡は2本入れられるケースを購入し、もちろん肩にかけて持ち帰らねばならない。まあ、これでも一人をベビーカーか負い紐、もう一人の手を引いて移動した頃に比べれば、ずっと身軽になったと言える。

ちょうどそんな折、マンション階下のポストに日本から封書が届いた。原稿用紙10枚のエッセーを登校した会社の封筒である。
白いそれを手にした瞬間、私は何かしら賞を得たと直感した。
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失業・在宅3ヵ月半にして、リーようやく転職を決める。勤務地は台北市内湖区。恒常的渋滞避けられぬ場所ながら、ひとまずホッ。

さて、5月から続いたリーの失業・在宅状態は、8月19日ようやく決定的な進展と展開を見せた。9月1日より、かつて私とリーが知り合った会社の共通の元同僚が紹介した会社に行くことを決めたのだった。
ここでも書いたことがあるが、台湾大手の映画会社社長夫妻がその息子に始めさせたケータイに何やら配信する新会社である。
もともとリーはそこをあまり気に入らず、断わっていたのだが、向こうが譲歩したり、ラブコールを送り続けたことでリーの気持ちも徐々に変化して行ったようだった。
それに私が思うには、8月25日には娘たちが日本へ去り、寂しくなってしまう。ずっと無職状態も良くないし、家にいても仕方ないと考えたのだろう。

それはそれで私は大歓迎だった。ひとりポツネンと家にいて妻子の日本移住を恨まれるより、毎日通う場所があるのは精神的にも時間的にもいい具合に紛れるはずだ。給与もまあまあだった。

リーがいちばん嫌がったのは通勤であった。
台北市の内湖区に会社があり、いわば台北を縦断して通わねばならない。空いていれば25分くらいで行けるが、例によって恒常的渋滞に悩む台北では、まずそんなスムーズに行くことはほとんどない。その倍は見ておかねばならないし、彼のせっかちな性格には、トロトロとしか進まない渋滞が事のほか厄介だったのである。

ちなみに、この内湖区は近年開発が進んだ新興商業地域と言える。
台北市中心部には遠いが、新しいビルや商業区域が設けられ、都心部から移転する会社も少なくないのだ。
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2010年02月21日

妻を長期海外へ出す台湾と中国事情その2。かつて男尊女卑濃厚な台湾でも、女性の地位は上っている。義母の寛大さに感謝。

もちろん、その間旧正月などに帰国したり、こちらの家族が彼女の留学先を訪ねることはあるが、女性が結婚後、夫を置いて1年以上留学、なんてめーったにあり得ない日本人からすると、最初驚いたものだった。出稼ぎではなく、こういう場合は子どもがまだいないのが前提みたいな風潮はあるが。

こういうこともある。
日本にお嫁に来た台湾や中国の女性が1〜2ヶ月実家へ里帰りする。
お産でもないのに、それほど長い間嫁いだ女性が実家に帰ることなど日本ではあまり考えられない。

たしかに台湾は今なお父系社会で、男性の地位は高い。
しかし、女性のそれは日本同様だんだん上ってきている。

だからというのもナンだが、ひとりっこの私が、年老い、持病も悪化しつつある父の世話や、娘が就学前に日本生活を体験させようと実家へ帰ることは、台湾ではさほど度の過ぎた行為ではなかったのである。
義父はもう亡くなったが、義母へはリーが報告し、事情を話しており
「お前がいいなら」という感じで義母は何も反対しなかった。途中からでも日本へ行けることになるかもしれない、との思いもあったと思う。

母娘3人の日本帰国を前に、平穏ではない時もあったが、義母の寛大な許しに感謝せねばならなかった。
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2010年02月20日

日本長期一時帰国、期限は不確定、リー次第。妻を外国に出す中国と台湾の感覚とは。

そうだ。
1〜2年の長期一時帰国が決まったことについて補足が必要だと思いついた。
自分が一緒に行けないことで機嫌を悪くしがちなリー。
その様子を見かねて、その計画自体を取りやめることも何度か申し出たが、もう半分ヤケになったように「2年帰れ!」と言い張る彼。状況を見ながら日本滞在期間を決めるしかないと思っていた。1年は大丈夫だろう、というところだった。

もう、?とお感じの方もいるだろう。夫のもとをそんな長く離れていいの?と。夫が単身赴任になるならハナシは別だが、妻が出て行くのだから。
これは台湾でも、私がかつて通訳をして接した中国人の慣習を見ても然りなのだが、こういう点、日本人の感覚とはかなり異なる。
たとえば、中国内陸部の比較的働き口が少なかったり、富裕層にない地域に住む家族の場合、妻を数年外国に出稼ぎに行かせることは多々ある。子供がいてもいなくても、その子を世話する人が見つかれば関係ない。

台湾では、貧しいゆえに妻たる者が海外へ働きに出ると聞いた事はないが、よくあるのは婚約中や結婚後に恋人または妻を留学させるケースだ。夏休みなどに1〜2ヶ月だけ短期留学、というのではない。1〜2年てのも結構あるのだ。
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