2010年02月28日

『客家の祖母より、綿々と』〜3〜

 土や草花は香りを放つ。これは本当だ。日本の実家にも似た田舎のそこは、来るたび精神を弛緩させてくれる。五感が生き返る。
 広がりゆく田畑を見渡すと、その中ほどに向日葵が集まり咲いている。十二月に来た時、たしかコスモスが満開だった。
 小川に入り、カラス貝をすくい取るおじさんがいる。その動きに見入っていた娘たちが「カラス貝!カラス貝!」と連呼するのをあわてて制止したが、老年に近づいたその男性は歓声に頭をもたげ、にっこり笑ってくれてホッとする。
 五聖宮の方角へ歩を進めると、水田を機械で鋤いている。田植えの準備だ。基本的に、南部では三毛作だが、その他の地域では二毛作だ。日本ほどではないが、台湾の人もお米に対する探究心は旺盛で、麺よりご飯派の私はその恩恵に与っている。

 まだ歩きたがる娘たちの手を引っ張り、やっと家にたどり着くと、祖母は自室のベッドで横になっていた。用事が重なり、ここ二回帰省に同行できなかった私と祖母との再会は、約半年ぶりだ。以前にも増して耳が遠くなっていることがわかり、さらに祖母の耳元に寄り、ゆっくり大きく離しかける。
「耳が遠くなって、なんにも聞こえない。かわいそうねえ。」
 と、祖母は日本語で答える。それで私も日本語に切り替える。
「日本語、ぜんぶ忘れちゃった。」
と、謙遜するが、日本による統治時代に教育を受けた祖母は、かなり正確な発音で話す。若い時期に刻んだ記憶がなかなか消えないことに感心する。
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2010年02月27日

『客家の祖母より、綿々と』〜2〜

 台湾北中部の3縣、桃園、新竹及び苗栗は客家人が多く住む地域だ。台湾総人口の3分の1以上が集中する台北を離れるや否や、緑が増え、山が近づき、空が広がる。苗栗縣も、山地がその面積の80%を占める、のどかな里だ。

 祖母宅から百メートルほど行った山麓に五聖宮が座している。いわゆる純粋な仏教と異なり、仏教、道教、儒教が複雑に融合して発展してきた民間信仰の廟で、赤や黄を基調とした複数階建てになっている。そこには数人の神像が祀られ、ひとつの廟参拝で、複数の神仏を拝める。
 神仏同士がケンカでもしはしないかと、と浅薄な危惧がよぎるが、台湾の人々はその合理性を優先した。
 義母がその日を帰省に選んだのは、五聖宮で当日催しがあるためだった。ふだんから披露宴なども行われ、私も上の娘を連れて、祖母に付き添い列席したことがある。何はともあれ、祖母を訪ねた時は必ず足を運ぶ、馴染み深い場所だ。
 五聖宮の立派かつ派手な鳥居は廟から遠く、そこを越えてから祖母宅や他の多くの民家が散在している。車中で眠気、退屈と闘っていた娘たちは、着くなり散歩に出かけたがった。例年より寒く長かった冬は、去る速度も鈍く、とりあえずしっかり上着を羽織って、我が家四人は散策に出かけた。
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2010年02月26日

『客家の祖母より、綿々と』〜1〜

無事メールで東京の編集長と連絡がついた。
限られた「入賞」受賞者の掲載だが、私の拙作を載せることは既に編集長の腹では決まっていて、私は喜びと光栄に胸が震えた。

僭越ではあるが、何回かに分けてこの場をお借りし、それを載せたく思う。

『客家の祖母より、綿々と』
 客家語で「妹」には<女の子>の意味がある。
 よって、女児が生まれると、「妹」の字を好んで用いる客家人は少なくない。
 葉心妹。私の祖母も、その字を授けられたひとりだ。

 三月上旬、ひかえめに晴れた日曜日、私と2人の娘を乗せた夫の車は快調に滑り出した。近くに住む義母も加わるとほどなく、通称北二高(北部第2高速公路)に入り、台北から1時間近く走って、竹南インターチェンジで下りる。そこからさらに二十分ほどを費し、ようやく祖母宅に到着。
 苗栗縣頭屋郷。簡易な伝統的住居<一條龍>に、八十六歳の祖母はひとり暮らす。
 日本の祖父母たちが皆他界して久しい。自分が母親になり、あらためて彼らの不在を残念に思うが、台湾で再び祖母を持てたことはとても幸いだ。私の義母、すなわち、夫の母親が十九の若さで嫁ぎ、子を儲けたのと、祖母の長寿のおかげだろう。  
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2010年02月25日

拙作『客家の祖母より綿々と』が「入賞」受賞。だが、東京から来た封書は切手不足で3週間かけて台北着。編集長にメールを急ぐ。

ブログのメンテナンスと私の操作ミスか何かで、少しアップが変則的になってしまっているが、気を取り直そう。

その東京の出版社から1ヶ月ほど前、エッセー3次予選通過の知らせはもらっていた。
よって、次に何か通知があるのは賞に入った者だけとはわかっていたのだ。
夕暮れの郵便受けの前でドキドキ、その場で白い封筒を破り開ける。
『客家の祖母より綿々と』のエッセーが「入賞」に選ばれた。

「入賞」はトップの「大賞」から数えて4番目の賞だったが、その出版社の定期雑誌に掲載される可能性は高く、賞状、賞品、授賞式出席など「副賞」もついている。
喜びに沸き立ちながらも、私はハッとした。
この封書は東京を8月1日に出たものである。受賞者への諸々の指示があるが、その期限をとっくに過ぎているではないか。今日はもう8月21日だ。

家に入り、さらに詳しく調べてみると、その封書はなんと切手不足でとことん道草をしてから台北の我が家に届いたことがわかった。
幸い、そこには出版社のメールアドレスがあったので、私は急いで編集長あてに手紙をしたためた。
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