2010年03月08日

新聞社にメール、ポスター作製、新聞販売所に電話。就活進む。メイ、保育園へは行かず、家庭保育。

 地元新聞社へ台湾から一時帰国した経緯や中国語、二胡のことなどを書いた長いメールを送ってみた。うまく行くと記事にしてもらえるよ、と知人が教えてくれたのだ。
 記事として取り上げられなかったら、サイズに応じた広告掲載料を支払い、宣伝する方法もあった。

 また、文具店へ行き、迷った結果オレンジ色の画用紙を5枚購入して来て、ワープロを使い、中国語生徒募集ポスターを作製、近所のコンビニ、顔見知りの書店などなどに貼らせてもらった。

 新聞折込み広告についても近くの新聞販売所に電話していろいろ訊ねてみた。最も安い広告の種類とエリア配布で12000円ほどかかることがわかった。

 帰国して10日。
 せっかちな私は、やっと荷物の整理が終わるや否や、次のステップを踏んだ。

 ランは喜んで幼稚園へ通った。最初3日間ほどは集合場所から幼稚園まで同じ地区の幼・小学生6人とともに私も歩いた。
 先生や園児たちとの会話もさほど問題なく進んでいるようだった。
 また、妹のメイは幼稚園入園までの半年間、保育園へは預けず、家で守りすることにした。公立幼稚園とは異なり、保育園の保育料は数倍高いし、私は基本的には専業主婦、祖父母といる時間も貴重で、それもよし、と思えた。
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2010年03月07日

就活開始。新聞折込み、ポスター、新聞社売り込み作戦など考える。

 面接の感触から、おそらくダメだろうとは予想していた。
 中国人労働者が増える中、通訳がいれば助かる企業は多いはずだが
通訳一人をわざわざ雇う余裕が無いのが実情なのだ。
 それにその家電メーカーの部長が言うように、継続的に中国から労働者を呼ぶ企業も多く、来日して2〜3年もすると日常会話や現場で使用する専門用語などを覚え、次に来る中国人仲間に教えてやれるというのだ。至極当然と言えば当然のことである。
 
 よって、通訳なんて要らないわけである。私がその会社に採用されるには、流れ作業が多い現場の工員として1日8時間ほど働くことが条件になった。その中で中国語通訳の仕事が3%か5%くらいあるかもしれない、ということだった。
 地元の人に聞くと、細かい作業もあり、目や腰を痛める人もいるという。それに母だけに子守りを預けられる状況でもなく、とても毎日8時間も家を空けることは無理だった。

 リーからの仕送りはあったが、まったく無収入というのも彼に対しても申し訳なかった。台湾より日本の方がずっと物価は高いのだし。

 1週間ほど私は仕事のことばかり考えていた。精神的な充実のためにも何かしたかった。
 
 そうだ。やはり中国語を駆使してできることをやってみよう。
そう決めると、新聞折込み広告や生徒募集ポスターなど、次々とアイデアが浮かんで来た。地元新聞社にも売り込みメールを書いてみた。   
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2010年03月06日

日本の幼稚園に合わせ、昼寝ナシ、早寝習慣をつける。地元最大の家電メーカーで面接試験、翌日早くも不採用通知。

 日本のランが通う幼稚園は朝8時までに到着せねばならなかった。
 また、同地区の幼稚園児と小学生が定時に集合し、徒歩で通学するため、遅刻は厳禁。逆算すると7時15分には家を出ないと間に合わない。6:20頃には起床ということになる。

 2学期までの1週間ほどで、台北とはまったくちがう生活習慣の基礎を作ることになった。ランもメイも自宅や幼稚園で午睡していたが、帰国後スッパリやめて、その分早く寝ることにする。これはかえって良いことだった。

 夏休みも大詰めの8月27日、私は車で10分ほどの地元で最大の家電企業へ面接に出かけた。
 これは父の知人がその会社の人事部長と知り合いで、台湾にいた時から細々と就活していた私に唯一巡って来たチャンスであった。とにかく会ってやってもいい、という返事をもらっていた。
 田舎の会社とは言え、大手電気メーカーの支社の部長サンだけあり想像以上にシビアで質の高い面接に感じた。

 なぜ家電メーカーという私にはまったく畑ちがいなところにアプローチしたかというと、中国人従業員が勤めており、通訳のような仕事が期待できたからだった。

 双方ともに希望を述べ合い、20分ほどで面接は終了。
 そして、意外に翌日早くも電話があり、不採用を告げられてしまった。 

 
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2010年03月05日

幼稚園、ラン受け入れ準備OK。問題はランの日本語会話能力。家の中で娘たちはすべて中国語で会話。

母の方から幼稚園には何かと連絡を入れてもらっていた。
ランは9月、2学期から入園することになっていたので、座布団、上履き、コップ、箸、タオル、黄色い傘などを準備しなくてはならなかったし、制服、体操服、通園リュックや帽子などはすでに注文済みで、26日主任先生から一式受け取ることができた。

私と主任先生がじっくり話せるようにと、母が同行し、遊戯室などでランとメイを見ていてくれた。
私の母校である幼稚園だが、当時の建物は新築され、美しく可愛らしく生まれ変わっていた。天井の高い遊戯室はユニークで、夏涼しかった。

ちょうどランの担任をしてもらう年少組の岸本先生も出勤しておられ
あいさつすることができた。ランのリュック入れや下駄箱などに名前シールが貼られ、受け入れ準備は整っていて大変感激した。

しかし、当のランは先生方に「おはよう」くらいしか日本語が出て来ない。先生方もランの日本語能力をとても心配されていた。
「私たちが言うことはわかるでしょうが、自分の言いたいことが言えないとかわいそうですねえ。」
数日間私が様子を見がてら園に滞在してはどうかという話も出たが、結局それはナシになった。かえって彼女の日本語復活を遅らせるだろうというのだ。
子どもの言語能力はすごい。とにかく様子を見てみようと決まり、始業式を待つことになる。

実家の中でも娘たちは全部中国語で、父と母はたびたび私に助けを求めてきた。
それでも、台北のマンション暮らしとちがい、好きな時に靴やサンダルを引っかけて外に走り出る娘たちを見て、帰って来て良かったとしみじみ感じた。
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