2010年03月12日

台湾とちがう、練習しっかりの幼稚園運動会。大雨警報で順延。母校校歌に涙。

2学期開始とほぼ同時に運動会や体育祭の練習に入る学校は日本でもかなりあると思う。
 私の幼少時代同様、この地域でもそうで、残暑厳しい中、連日子どもたちは9月21日(日)の本番に向け、練習に励んでいた。
 お昼は見に来た家族と共にお弁当を食べるのが慣例で、私も前日から気合が入っていたし、当日早朝から台所で忙しくした。

 ところが、朝5時頃からゴロゴロ、雷雨。予報にはなかったので、すぐ止むだろうと思っていたら土砂降り、ダメ押しは大雨警報発令で23日に延期するとの放送が入った。

 トホホ……
 ランはがっかりしている。私も泣く泣く出来上がったおかずをお弁当箱に詰め、昼食にあてることにした。
 
 だが、果たして23日は暑いほどの晴天に恵まれ、運動会は無事開催された。幼稚園・小学校合同開催で、大きな小学生の中で園児たちはひときわ小さく可愛く見える。
 入場行進などの後、全員で小学校の校歌斉唱。
 私も数十年前歌った懐かしい校歌が、緑豊かな山里に響くと、じわ〜と涙がこぼれた。
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2010年03月11日

記者・安田さんと父も縁あり。新聞では二胡の音は出せない?! 緊張の取材、無事終了する。

 記者・安田さんは、私より3歳ほど若い青年だった。
「来てくれる記者は安田さんていう人らしいよ。」
と父に話すと、中学校教諭だった父の教え子だということがわかっており、親近感は会う前から湧いていた。もちろん安田さんの方も承知の上で、
「僕、理科は苦手だったんで、お世話をかけてしまいました。」
と言う。謙虚な人だ。だいたいそういう人ほど結構よく出来たんだと思う。

 40分ほど応接間で話をする。新聞社に送ったメールには二胡のことも書いていたので、最後に二胡を持った姿を写真に撮りたいと言われる。
 畳敷きの奥の間に移動し、二胡を持ち、構えて、
「弾きましょうか?」
と緊張して訊ねると、
「写真だけでいいですよ。」
とあっさり答えられた。
 数枚シャッターを押した安田さんは、4〜5日後の紙面に載せられると思います、と丁寧に言い、帰って行った。

 あとで両親に話すと、
「新聞では二胡の音は聴けへんのやから、弾く必要ないやろ。」
とあきれられた。
 まあ、それもよかった。とにかく、またひとつステップを踏んだ気持ちになった。
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2010年03月10日

台湾にはないデラウェア。メイの専属守り役・じーちゃんがブランコ製作。記者・安田氏来宅。

だんだん娘たちはじーちゃんばーちゃんの里の生活に馴染んできた。
朝食はだいたいミルク、パン、卵、果物が基本で、フレンチトーストにしたりホットケーキを焼いたり、卵サンドだったりと変化をつけてやった。
 そういえば、暑い時期出回るデラウエア。小さい実のブドウであるが、あれは台湾にないことに気づく。台湾は輸入品も多いがフルーツ王国と言えるものの、あの可愛い小ぶりのブドウは見たことがない。
 もともと大のブドウ好きな娘たちは、種も無く食べやすいデラウエアを気に入った。

 台北で通った私立幼稚園とは異なり、公立幼稚園に入ったランは平均午後2時頃には帰って来た。もう少し幼稚園にいてほしいところだが、家にいる妹メイには好都合だった。
 大工仕事が趣味の父は、ランの「ブランコにのりたい!」熱烈コールを受け、ホームセンターで材料を調達し、本当にブランコを作ってしまった。

 当時3歳だったメイの守りは、地域の役やつき合い、趣味などで多忙の母をあてにするより父に頼む方が確実であった。「いただきます」が言えず、「いたかまです」になる可愛いメイの専属世話人になることを父も自然に引き受けてくれた。

 そうこうするうちに9月18日、地元新聞社記者・安田さんが取材にわが家にやって来た。
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2010年03月09日

一旦ボツになった話が復活、地元新聞社から取材依頼の電話。二胡練習に力を入れ、その日を待つ。

 中国語生徒募集方法はまずポスター貼り付けだけが実行できた。
しかし、これは気を長く持って反応を待たねばならなかった。
 メールを送った地元新聞社からは翌々日くらいにはメールで返信があったが、記事にはしてもらえず、紙面広告各サイズの料金等の説明が丁寧に施されているだけだった。

 あ〜あ、やっぱり記事は無理だったか、と新聞折込みの方を再び考慮しかけた頃であった。例の地元新聞社より電話がかかってきたのだ。
「先日はメールありがとうございました。実は後にあなた様に紙面登場してもらうことが決まりまして…… ちょうどあなた様と似たような英語を使って国際文化交流したいという方がいらして、その人の記事とペアで掲載する企画が持ち上がったんです。」
との内容である。ついては後日、弊社の記者が自宅まで伺いたい、とのことである。

 わ、やった!
いざ記事になるというと恥ずかしく動揺したが、チャンスにちがいない。
 本当にしばらくして私の担当記者という安田さんという男性が電話をかけてきて、取材日時を決めた。

 新聞社に記事として取り上げてもらう運びとなり、新聞折込み広告はきっぱり考えないことにした。
 取材の日まで、私はいつもより増して二胡の練習に力を入れて待った。
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