2010年02月15日

ラン、一週間ぶりに喜んで幼稚園へ。リー、失業状態続く。面接に出かけたのは、台湾大手の映画会社・御曹司の会社。

家族旅行は楽しかった。
幼稚園大好きなランは、旅が終わったら終わったで、一週間ぶりに至極うれしそうに登園した。

しかし、4月から失業中のリーは相変わらず在宅時間が長い。自分から辞めたため、失業保険も出ない。
それですぐ生活に困ることはないにしても、大の男がおてんとさまの高い時間にずーっと家におり、毎日昼寝付きの生活を謳歌しているのに違和感を感じずにはいられなかった。

食品関係の仕事がダメだと結論付けられた今回の旅行。
だが、数人の友人から仕事を紹介する話は来ていた。

そのうち、私と共通の元同僚が誘う会社の面接を受けることになる。
台湾大手の映画会社社長の御曹司がケータイ関係の会社を作るらしく、全く畑違いでもないリーに声がかかったのだ。

他にも、もっと大きく安定した企業の面接を受ける機会にも恵まれたがそういうところには採用されず、結局映画会社の御曹司が社長になる駆け出しの会社に入る流れになる。
まあ、とにかく、働き口があるだけいい。この異常な状態から解放されるだけでも御の字だと思えた。
リーの気持ちを思い計れば、あまり急かすのも申し訳ないが、私がリーに恋をした大きな要因の一つは、バリバリ仕事ができるひとだったことなのである。
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2010年02月14日

『阿振肉包』にはかつて日本人が弟子入り。帰国後、東京で店を構えた。やさしい饅頭と肉包の味を、台北帰宅後いただく。家族旅行、無事閉幕。

『阿振肉包』で買い求めたのは、饅頭と肉包だった。
饅頭とはいわゆる蒸しパンだが、日本の甘いお菓子風のものはほとんどなく、食パンや白飯の代わりになるような感覚で食される。肉包は肉まんだ。
阿振肉包の饅頭はミルクパウダーが入っており、やわらかくほんのり甘い。それが人気の秘密かもしれない。
昔、ここ鹿港を訪れた日本人が阿振肉包の味に惚れ込み、何度も頼み込んで弟子入りし、3年間修業、東京に帰って自分の店を構えたという。
そのエピソードが店頭に書いてあるのだ。日本びいきの多い台湾では、こういうハナシも良い宣伝になるのだと思う。
今もその日本人の店が営業しているのか私は知らないが、興味をそそられる。

中山路を戻り、車に乗り込んだのが午後4時。
途中雨が降り、そんな様子をぼんやり見やりながら私と娘たちはうつらうつら……
さすがにバスよりは早く、6時すぎ無事台北の我が家にたどり着く。
運転手のリー、ご苦労さまでした。

さっそく阿振肉包の饅頭などを広げ、夕飯に。
期待通り、やさしい味で、みなこぞって食べた。

こうして4泊5日の家族旅行は楽しいたくさんの思い出をくれて幕を閉じた。
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2010年02月13日

台湾人ならほとんど誰でも知っている1877年創業の菓子舗『玉珍斎』はここ鹿港にある。鹿港へ行くなら、その店のお菓子を買って来て、と義母も頼んだ中華菓子の人気老舗。

暑い。
リーと娘たちはかき氷を食べことにする。私は甘い物が苦手ゆえ、その間にのぞいてみたい民芸品の店やブティックに歩く。
何も買う物はなく、かき氷屋に行くと、3人はまだ氷を囲んでいた。
台湾のかき氷はだいたい丼サイズである。そのチェーン店も然りで、3人は各々にスプーンを握り、鍋でも食べる格好だ。冷たくて甘いデザートが大好きな娘たちは争うようにつっついている。

メインストリートの中山路だけは踏破したが、どうにも暑いし、おみやげを買って帰ろうということになったのは3時頃だった。道行く観光客のほとんどが提げている袋の店に私たちも急ぐ。
その店の名は『玉珍斎』。
1877年、貿易港として黄金期にあった鹿港で伝統の中華菓子を愛する商人・黄錦が泉州からやって来た菓子職人と協力して開いた老舗である。
台湾人ならまず誰でも知っているほどの有名店で、事実、義母が「鹿港へ行くなら玉珍斎のお菓子を買って来て」とリーに頼んだと言う。
羊羹やパイナップルケーキ、蒸し菓子などなど100種類はある。洋菓子にも引けをとらない華やかさがあり、パッケージもいろいろ凝っていてお店を見て回るだけでも楽しい。
おみやげはそこですべてそろえる。

同じ中山路で、リーが蒸しパンを買って帰ろうと足を止める。肉まんなども売っている。看板には『阿振肉包』とある。かつて日本人がここで修行したと書いてあるが、どういうことなのだろう。

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2010年02月12日

台湾海峡に面した鹿港は、かつて港町として栄えた。映画『小南故事』のロケ地になったレトロな町。

活気あふれる老舗・阿国獅を後にして、またしばらく車中でうとうとしていると、鹿港に着いた。午後2時半だ。

車を停め、4人で歩く。
それにしても、どこに来ても暑い。台湾の6月はレッキトシタ夏なのだ。

さて、ここ彰化縣も初めて訪れる。「彰化銀行」というのがあり、結構大きな銀行で、台北でしょっちゅうその黄色と赤の看板を見るが、その縣についてはほとんど知識を持ち合わせていなかった。

台北から車で約3時間半。
鉄道やバスでだと、まず台中まで行き、そこから「彰化客運」のバスに乗り換えるのがいいらしい。
メインストリートの中山路をたどることにする。ほどなく、天后宮が見えて来て、参拝することにする。ここはいわゆる台湾民間宗教の一つの総本山で、年中参拝客でにぎわう。

年季の入った廟で拝んだ後、再び中山路を行く。新しいタイプの店やコンビニなどももちろんあるが、全体的に古風な町並み、いわゆる旧家の構えがそこかしこに見られレトロ、実に「古き良き台湾」を感じる。
鹿港は台湾海峡に面し、18世紀頃は中国から移り住んだ人々や貿易船の往来で非常に栄えた。
また、1979年李行監督による『小南故事』のロケ地となり、テレサ・テンが主題歌を歌ったことで、その名はより広く知られるところとなった。
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2010年02月11日

墾丁、再見! 高速に乗り、目指すは台湾中部・彰化縣鹿港。お昼近づき、途中、雲林縣斗六に寄る。老舗・阿国獅の美味に感動。

墾丁青年活動中心の朝食は7時半から始まる。
早起きの我が家族は、それまでに荷物の半分を車まで運び終えた。
食堂は重厚な宮廷造りの建物の2階にある。バイキング形式になっており、中華式の粥もトーストもあり、各年齢層や嗜好に対応可能である。惣菜や果物の種類も多い。老いも若きも満足できる。

前日チェックインの時にいた爽やかなフロント青年スタッフと談笑して8時40分チェックアウトすると、彼は南の海のような、これまた爽やかな笑顔で手を振り見送ってくれた。

私の「台湾でまた行きたいところ」は目下、屏東縣墾丁である。
墾丁よ、再見!!

さて、6月家族旅行の最後の訪問地は台湾中部・彰化縣だ。
この旅の計画を立てる時、リーに、どこか行ってみたいところはない?と訊かれた。私は「台湾らしい情緒あふれる場所」とあまりに抽象的な返答をした。リーは、う〜ん、と考えた結果、答えた。
「鹿港はどう? 古い町並み残るところだよ。」
ということで、私も娘たちも初めて彰化縣を訪れることになった。

高速道路を走る。雲林縣の「雲林」インターで降りる。雲林縣は二胡の蔡老師の郷里で、何かしら親近感を感じる。お昼が近づいたのでリーが雲林の「斗六」いう町で食事処を探すことに決めたのだった。
数々の受賞歴がある老舗・阿国獅で昼食に。金曜日と平日なのに、客が絶えない。一品一品が深い味わいで確かにおいしい。感動すらする。
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2010年02月10日

杉山清貴&オメガトライブのヒット曲が終始頭の中で鳴り響く。墾丁、メインストリートは縁日のようなにぎわい。おしゃれなマリングッズが並ぶ。

トシがバレてしまうだろうが、実は、見事な紺碧の美しい海を抱く屏東縣墾丁地方に来てから、杉山清貴&オメガトライブのヒット曲『君の瞳はマリンブルー』が私の頭の中で鳴り止まなかった。どうしてもあの曲が口をついて出てくる。夕食に向かう夕暮れの道中でもそうだった。2人の子持ちになって、そんな歌にうっとりしてもしようがないと言えばそうだが、墾丁の景色はそれほど素敵だった。

メインストリートはにぎわい始めていた。
日本の縁日のような屋台もあるし、しゃれたレストランやパブ、おしゃれな雑貨屋、土産屋などもひしめき合っている。歩いている人の年齢も若い。
私はご当地グッズを何かひとつ記念に買い求めようと物色したが、結局見つけられなかった。水着、ビーチサンダル、帽子、サングラスなどマリングッズがほとんどだ。ピアスやブレスレッド、バッグなど目を引く物もあるが、わざわざここで買う必要もないなとあきらめる。

やっと決めて入ったレストラン。
味はまあまあだが、量が少ない。割高なのである。さすが観光地だと話す。
満腹とは行かず、7-11でどっさりデザート類を調達してから宿に戻る。

夜になって、墾丁青年活動中心は人口密度が高くなっていた。投宿する客がどんどん到着している感じだ。映画のセットのようなそこは灯りが燈ると、また劇中にいる錯覚を喚起する。

早くシャワーして眠りたかった。明日は彰化縣へ向かうことになっている。
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2010年02月09日

私の日記は旅日誌に。宿で午睡後、リーと娘たちは水着に着替え、ビーチに降りる。ヤドカリたちと帰還。夕暮れの繁華街へ出発。墾丁での夜。

リーと娘たちの午睡中、私は音を立てないよう用心して荷物の整理をしたり、日記をせっせと書いた。
私はこの半生で幾度となく日記を書いてはやめ、書いてはいつの間にかやめをくり返して来たが、第一子のランが生まれた2003年以来欠かさず綴っている。
その日記は旅行中、旅日誌も兼ねるため、ふだん1ページで終えるところが収まらず、長くなっていた。

午睡から覚めた目覚めた娘たちは満を持した様子で水着に着替える。
海、山、アウトドア大好きなリーも、「4時半かあ。まだ太陽サンサンだけどなあ」と言いつつも、やる気まんまんである。
「ママも行こうよ!」
誘われたが辞退する。台北にいてさえ、強い日差しですぐポツポツと強敵シミが芽を出すと言うのに、こんな海岸になど恐ろしくて出られない。許せ、ラン、メイ。

ヤドカリのような可愛い海のコたちを持ち帰った3人。
リーは疲れてぐったり、娘たちはもっと遊ぶと言い張ったらしい。

着替えて6:20頃、徒歩で繁華街へ出る。
歩いているとどんどん夕闇が降りて来る。
海辺の町が、またちがう顔を見せ始めた。
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2010年02月08日

墾丁青年活動中心は三合院、四合院造りで粋。窓のない自分だけの小宇宙。海外からもネットで予約可能なおススメの宿。

4泊5日の旅のうち2泊を墾丁で、と決めたのはリーで、本来彼はこの墾丁青年活動中心の連泊を考えていたのだが、初日の方は満室だったためペンションを取ったのだった。

墾丁活動中心は例の美しい海のそばに立っている。ネット検索でも見られるはずなのでご覧いただけたらと思うが、中国の古い時代背景の映画セットみたいな造りになっており、研修センターなども立派でとても人気がある。1泊目の予約が取れなかったのは、どこかの高校が泊りがけの研修に来たせいでもあった。

どんな造りかと言うと、いかにも中華圏らしく昔懐かしい情緒あふれる三合院、四合院と呼ばれるものだ。
四合院とは、中央に庭を配し、四方を平屋で囲んだ住宅のことで、三合院は南棟がないものを言う。
これらには窓を作らないため、中に入ると自分だけの小宇宙のような感覚を味わえる。
テレビで見たり、名所旧跡でこの建造物を歩いたことはあるが、そこで「暮らす」のは初めてでわくわくした。

酷暑の上に幼い子供2人連れ、疲れも早く来る。宿舎にはまたもやチェックイン可能時間より早く着いてしまう。
チェックイン手続きだけはすぐでき、四合院造りの中の203号室をあてがわれる。
抜けるような青空、吹き抜ける風。
フロント前の休憩所で待つ。フロントスタッフの爽やかな青年は、客室の清掃を急がせてくれたようで、1時過ぎには部屋に入ることができた。

娘たちは早く海に下りたいとせかすが、とにかくまだ暑くて無理だと言い聞かせ、リーと3人で昼寝をさせる。
ツインベッドが置かれた部分は靴を脱いで上る板張りになっていて、清潔感がある。素敵な部屋にみなゴキゲンになった。
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2010年02月07日

海辺の強風を活かし、風力発電。岡本太郎氏の「太陽の塔」彷彿させる巨大風車が並ぶ。台北よりゆっくり流れる時間。マリンブルーの海に終始うっとり。

四国ほどの面積しかない台湾だが、最南端の縣・屏東縣墾丁地方には台北とは異なる風情がある。海に抱かれた土地は強風が吹くため、風力発電に力を入れている。日本人なら岡本太郎氏の「太陽の塔」を連想してしまうような、白く巨大な風車が等間隔に建てられ、ぐるりぐるりと回っている。

南国台湾にも透き通るような白い肌の持ち主はたくさんいるが、強い陽光を長く浴びる地元の人々には褐色の肌が多い。大都会・台北に比べ、明らかに時間の流れも緩やかだ。暮らしも質素だと想像できるが、このうだるような暑ささえ何とかなれば、そんな生活に憧れる。

そう。暑いのだ。6月中旬なのに、クーラーの効いた車からそう長く離れていられない。
「ねえ、6月でこの猛暑ということは……」
リーに話しかける。
「これからもっと暑くなるよ。」
ぞっとする。正常な思考能力を失いそうだ。

それにしても、ドライブは飽きない。墾丁のマリンブルーの海は文句なく美しく、私はうっとりしっぱなし、何度賛美の言葉を発したかわからない。

正午が近づいてきた。
にぎやかな恒春に戻り、とある総合病院の駐車場を拝借し、昼食。
その後、あと2泊投宿する墾丁青年活動中心へ向かった。
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2010年02月06日

墾丁国家公園、夏の繁忙期は宿泊予約不可能になる人気観光地。客室内、トカゲ数回移動も熟睡の夜。さあ、観光スポット目白押しの国定公園内をドライブ!

海辺の7-11には腰掛けて休めるコーナーが外に設けてあり、デザートと夕涼みを楽しんだ後、「ペンション荷園」へ戻った。
見たところ、宿泊客は我が家を含めて3組のみである。
「こんな稼働率でやっていけるの?」
リーに問うと、まもなく来る繁忙期にはこの一帯宿泊予約不可能になるくらい混むと言う。
たしかにリーはそう言っていた。本格的なシーズンが来る前に行こうと。6月下旬には夏休みに入る学校もあるため、この6月上旬を選んだのだった。

611号室入室時にゴキブリ、こがね虫、トカゲを目撃し、どうなることかと案じたが、その後はトカゲが時折ささっと移動するのを数回見かけただけで済んだ。

前日寝不足のせいもあり、ぐっすり熟睡。7時には洗髪、メイクが終わり、ランと敷地内を散歩、中央部にある小さなプレイゾーンで2人ブランコに乗った。
食堂などないペンション、7:35、従業員が朝食を届けてくれた。
ミルク、サンドウィッチ、グァバ。グァバは台湾で実にポピュラーな果物の一つで、年中口にすることができる。朝食は量も十分でおいしかった。

8:30頃チェックアウト。無料のミネラルウォーターはすべていただいて行く。台北よりさらに太陽ギンギンの墾丁、水分補給は必須だ。

6月12日、今日も快晴。地図を見ながら広い国定公園内のいろいろなスポットを巡る。観光名所、スポットを中国語で「景点」という。墾丁はまさに景点の宝庫だ。
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2010年02月05日

海岸で遊んだ後、夕食へ。「海鮮炒菜」には入らず、鴨肉料理専門店「鴨肉蔡」へ。さすがの人気店、にぎわい、美味。

海岸でひとしきり遊んだら、だんだん日も傾き、お腹も空いてきた。
私たちは車に戻り、ディナーはどこでしようかと話し合いながら走る。
大小「海鮮炒菜」の店があちこちに点在する。これは希望する海の幸を炒めてもらって食べる店だ。海辺の町ならではの新鮮な魚介類を楽しめる。
だが、なかなかそこで食べる気にならない。そこで、もっとにぎやかな町中へ戻ることにした。

リーはこれまで一度だけ友人と墾丁へ来た時寄った食堂があり、そこがまだ営業しているかもしれないので行ってみないか?と言う。鴨肉料理専門店らしい。おいしかったと言うし、私が鴨肉好きというのもあるのだろう。
私は賛成して、彼の運転に任せる。

果たして、暗くなった町に「鴨肉蔡」という看板が見えて来た。
よかった。その店はまだそこにあった。
近くに駐車し、満員に近い店に入る。すごい熱気だ。店員たちも目の回るような忙しさだ。
夕食にありつけたのは7時頃。このにぎわい、さすがに納得の美味である。
墾丁に行かれる方、覚えておいてください。いわゆるメインストリートにこの店は今もあるはずです。

その後、リーがビールを飲みたいと言うので、ペンション近くの7-11へ寄る。娘たちはアイスクリーム、私は豆花のデザートをいただく。地元高校生らしい男の子たちが、ランとメイの相手になって、しばし遊ぶ。
すこし涼しくなった最南端の夜。
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2010年02月04日

台湾にこんな美しい海があるとは知らなかった!墾丁国家公園は台湾で最初に指定された国定公園。熱帯、自然の宝庫そのもの。

墾丁国家公園は1984年、台湾で最初に指定された国定公園である。
台湾最南端・屏東縣恒春半島に位置し、陸地面積18084ha、海域面積15185ha、気候帯は熱帯に属した台湾を代表する観光地だ。
博物館や水族館もあるが、多くの生物や森林、海洋生態保護区を抱える、もう、その土地そのものが標本、宝のような自然豊かな地域なのである。

台北から持参した砂場遊びセットを持ち、ランもメイも喜んで砂と遊ぶ。豪華な結婚アルバム作成は台湾文化の一つだが、その日も夕暮れ間近な海辺で一組のカップルの撮影が行われていて、2人はきれいなドレスとタキシードを着た人たちを何度も気にして眺めた。

それにしても美しい。
3日間の墾丁滞在中、私は海にうっとりしっ放しであった。
墾丁はマリンスポーツでも人気のスポットで、海岸線のみならず至るところに海の家や民宿、ホテルが立ち並ぶが、ただ、海を眺めているだけでも十分訪れた甲斐がある場所だと気づく。
沖縄の海もいいが、ここも負けない。
グアムやプーケットの海を目指し日本脱出する人は多いが、ここにもこんなにすばらしい海があるよ!と大声で教えたくなる文句なしの海である。
正直言って、その時まで台湾にこんなにきれいな海があるとは知らなかった。リー曰く、防衛的戦略で民間に開発を許して来なかったことなどが幸いして、汚染から免れたんじゃないかな。
これは台湾は国を挙げて守らねばならない自然遺産だと思う。
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2010年02月03日

台湾でいちばん南に位置する屏東縣墾丁に到着。「ペンション荷園」にチェックイン。ゴキブリ、こがね虫、トカゲが走る部屋、611号室。再び車で海岸へ。

頭の中に台湾の地図が浮かんでくるような感じだ。
どんどん南下している実感がする。
1回目の留学時代、高雄の友人宅を訪れた時、一度台南までは行ったことがあった。台北にいる時以上に大きな椰子の木が目に入り、台湾の中でも至極南国らしい風情にうっとりしたものだったが、屏東縣の墾丁地域は正真正銘の台湾最南端の地である。

よく晴れた午後だった。マイカーの窓から海が見え始める。
午後4時過ぎ、リーが予約していた「ペンション荷園」にチェックイン。白塗りのログハウス風の家が敷地内に点在している。私たちは611号室だ。一戸建て形式のペンションで、車は各家の前に駐車できる。

さっそく荷物を部屋に運び入れる。新しくシンプルな造りで掃除もよくされているが、ゴキブリ一匹を洗面所で目撃! こがね虫もいたしトカゲがささっと横切る。
なんだこの家は?!
台湾最南部だからこうなのか、このペンションがこうなのか……

不安を残しつつ、再び車で出かけることにする。
夕暮れ近い海岸で車を停め、砂浜に降りると、まだ大勢がビーチバレーや泳ぎに興じ、活気がある。そして、ため息が出るほど美しい海が広がっていた。
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2010年02月02日

屏東縣で食品会社を営む陳さんとの再会。酒の輸出入など食品の貿易は難しく、望み断たれる。台湾最南端・墾丁へ。

陳さんは台北の大学卒業後、郷里の屏東縣に戻り、食品会社を立ち上げた。私たちが彼を訪ねたのは自宅ではなく、倉庫などが立つ事務所だった。
リーと彼が話す間、ランとメイはポカリスエットをもらい、その缶やテイッシュケースなどその辺のもので叱られながらもまずまずいい子にしていた。
私はたま〜に2人の会話に参加しつつ、話を聞いていた。
「台湾の名産品を日本に輸出したり、日本の、たとえば妻の実家の方の名産品をこっちで販売するってのはどうかな。」
リーは陳さんに直接会って訊いてみたかった質問を順に投げかけた。
だが、陳さんは耳障りの良いことは言わなかった。
「それは難しいよ。今、食品会社自体やってて楽じゃない。貿易で利益を得るには大規模に手がけないといけないが、日本の、たとえば君が言う酒でも暑い台湾に持って来て長期保存するとなると保管する場所や方法を確保するだけでも骨が折れる。」
やめといた方がいい、と。
リーは陳さんと手を組んで何かできたらいいなあとも考えていたが、そんなことを口に出せる状況でもなかった。

商売とは別に、私と娘たちが1〜2年日本へ帰ることになるだろうとも打ち明けていた。就学以前に、持病が悪化する祖父のもとへ娘たちをやることにリーは賛成していた。

2:50、陳さんと別れ、屏東縣最南端の墾丁目指し、マイカーはひた走った。南北に長いその縣、思ったより遠く、墾丁到着は4時頃になった。
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2010年02月01日

朝16度の阿里山からさらに南下。台湾最南端・屏東縣へ。豚足の名産地、1948年創業の老舗で昼食。その味は……

旅初日の寝不足と疲労のせいか、就寝後寒いながらリーは10秒、私は30秒で寝ついた。娘たちも似たようなものだった。

阿里山青年活動中心、朝16度。
8時半過ぎにチェックアウトし、一家はさらに南下、山を下りるとまもなく再び台湾らしい暑さが戻ってきた。
高速をひた走る。
台湾第2の都市・高雄を過ぎてもまだ南へ。かつて高雄と台南までは来たことがあるが、それ以南は初めてだ。今日は最南端の屏東縣の墾丁が最終目的地だったが、リーの大学時代の友人・陳さんを1:30に訪ねることになっていた。

正午には屏東に着いた。
まず腹ごしらえすることになる。日本人にも有名な豚足、その名産地があるので、それを食べようとリーが提案した。
数ある店の中でも1948年創業の老舗・熊家豚足を無事見つけた。
本当にひと味ちがった豚足がいただけるのだろうか、些か半信半疑で席に着く。

昼間からそんなに食べられる?!
と慌てるほど、リーは気前よく注文した。一皿にすごい量が盛られることもあるため、不安になる。まあ、テイクアウトできるけど……
だが、心配無用であった。
さすが本場、老舗の実力。肉にせよ、ソースにせよ、とろけるような逸品を4人でペロリと平らげてしまった。
脱帽。
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2010年01月31日

阿里山を散策、膝が笑うまで歩く。午後、阿里山青年活動中心208号室に入る。山小屋風の部屋。落日拝めず夕食。

阿里山山頂は19度。6月半ばにさしかかり、亜熱帯の台北の熱気に慣れた身体にはひどく寒く感じる。アジサイもここでは咲けるのだ。
山の散策コースを1時間半ほど歩く。ホテルや公共施設なども点在し、時折観光客のみならず、そこで働く職員などにも出くわす。

上り下り結構きつく、私は膝が笑うのを感じた。
3時40分、宿舎の部屋にたどり着く。208号室、木材がふんだんに使われた山小屋風の部屋は視覚的には温かいが、夜ぐっと冷えて来ないか気がかりだった。

父子3人と別行動していた私を、夕方リーが呼びに来る。
「日の入りを見ない?」
と誘われ、宿舎前に出る。
中国語で日の入りは「落日」と言う。阿里山からの日の出と日の入りは美しくて有名だ。
家族中厚いコートを着込んで待つ。

しかし、あいにく雲が多く、6時まで待ったがあきらめ、夕食開始6:20早々食堂へ行く。
日月譚青年活動中心同様600元のコース料理だったが、量が少なく、ゆうべとは見劣り甚だしかった。りー曰く、高い山の上、様々な生活物資や食材を運び上げるのも大変なのだろう。

夜に入り、気温は18度に。寒い。
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2010年01月30日

国定公園・阿里山、台湾最高峰の玉山などに囲まれた別天地。阿里山遊楽区、散策時にアジサイを見つける。

不気味な渓谷や水害にたびたび見舞われる信義郷、巨砲の産地などを走り、6月10日正午頃ようやく阿里山青年活動中心に到着。
即チェックインできたので、先に荷物を運び入れることにする。
リーはここでもまた青年活動中心を宿に決めたわけである。さすがに山のロッジ風で板張りの床、心地良い足音が響く。

荷物を下ろして軽くなったカローラで再び出発。
近くの阿里山遊楽区へ向かう。ここに入るには入場料が必要だ。区内に観光施設が集められているという感じである。

阿里山は国定公園で、周囲には台湾最高峰の玉山(標高3952m)など2000〜3000m級の山々がそびえている。嘉義縣に位置し、鉄道やバスでも行くことができる。日本統治時代に木材運搬を目的に敷かれた鉄道は、今でも観光客を運ぶ役割を果たしているという。

亜熱帯と熱帯気候の台湾だが、こう標高が高いと別世界に来たようで日中でも長袖を2〜3枚重ねないと寒い。娘たちでさえそれだけ来ても暑がらない。
食堂で昼食を済ませ、セブンイレブンでお菓子を買い、森林区を歩くことにする。原住民が暮らす地域ゆえ、何となくやはりちょっと顔立ちに特徴ある人が目立つ。
観光街を離れまもなく、私はアジサイが咲いているのを発見!
暑い台湾ではこれまで一度も見たことがなかった大好きなアジサイの花。ここでは咲くんだ、台湾でも咲く場所があるんだ、といたく感動する。
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2010年01月29日

玄奨三蔵法師の遺骨は、昭和17年日本軍によりいち時期日本に持ち去られていた。徳高き層の遺骨は「舎利子」と呼ぶ。尼僧に感謝。

尼僧とリーの説明からすると、玄奨三蔵法師の遺骨は「舎利子」と呼ばれるらしい。とにかく純白である。私のような罪深き凡人の骨があれほど美しい白色をしていることはないはずだし、三蔵法師のそれは今なお形を変え、色が澄み、まさに生きているような印象を与えるという。本当に徳を積み、解脱した人だけに表れる現象なのだろう。

実は、玄奨三蔵法師のこの遺骨、昭和17年南京を占領していた日本軍が石棺を発見、日本の専門家により三蔵法師のものと確認され、半分を日本に持って行かれ、しばらくは東京にある寺院に奉納されていた。
後に、爆撃を恐れ、住処を変え、今は台湾最大の湖・日月潭のほとりのお寺で守られているというわけである。

尼僧の話に甚く感じ入った様子のリーは、100元で家族の健康を祈願する蝋燭を購入し、供えた。
寺を辞す際は、私も彼も何度も合掌し、尼僧に頭を下げた。
石段を下りる時、紺碧の日月潭が視界に広がり、娘たちと感嘆の声をあげる。太陽はすでにギラギラ降り注いでいた。

マイカーは再びエンジンをつけ、次なる目的地・玉山と阿里山を目指し疾駆した。
玄奨寺を想い、合掌。
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2010年01月28日

玄奨寺はあの西遊記・玄奨三蔵法師の遺骨を祀る名刹。朗らかな尼僧が丁寧にもてなし説明してくれる。純白の遺骨は聖人ならでは。

早朝から絵葉書の風景のように明るくきれいに晴れ渡り、今日も暑くなりそうだぞと車の後部座席で思っていると、リーが玄奨寺について熱心に説明し始める。
最初はどこにでもある神社かお寺だろうと適当にふんふんうなづき、もう寄らずにこのまま行こうよおと内心思っていると「西遊記」とか「三蔵法師」という日本人にも馴染みのある単語が耳に引っかかる。
そのため、だんだん真剣に聞くようになるし、リー自身、私の意見を訊くというより、すでに寄って行こうと決めている様子だ。

日月潭青年活動中心を出て5分ほどで、湖畔に車を停め、道路を渡り玄奨寺の石段を上る。ランとメイの足にはきつい石段で、手を引いてよいしょよいしょと行く。
庭や建物を修理する作業中のおじさんたちがいるだけで、参拝者や観光客らしい人は一人もいない。一日の参拝者で最も早い時間に属すのではないかと想像する。

この玄奨寺、家族旅行を計画する段階では話題に上らなかったが、知る人ぞ知る由緒あるお寺である。
なんとあの「西遊記」の玄奨三蔵法師の遺骨の一部が祀られている。玄奨像や天竺への旅の足跡を表したレリーフなども飾られているのだ。
我が家の4人が本殿に入って間もなく、尼僧さんが現われた。茶の作務衣のようないでたちで、頭を丸め、小柄でにこにこ笑って説明してくれる。娘たちにも話しかけたりあやしたり、和気あいあいだ。
その遺骨を見る。純白だ。聞くと、凡人の遺骨とは大きく異なるらしい。私は尼僧の話にリーとともに耳を傾けた。
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2010年01月27日

台北より涼しい日月潭畔の青年活動中心の夜。アリ出現?クワガタ虫と共にする寝不足の夜。600元で豪華なディナーには満足。

日月潭青年活動中心はまた金山のそれとは建物も雰囲気もまったく異なり、よりカジュアルで一般のホテルに近い風格を感じる。
チェックイン手続は1時頃完了したものの、部屋に入るのはしばらく待ってほしいと言われ、その間娘たちはリーとすぐ前にある山に方へ散歩に出かけ、私はここに来て思いついた短編小説をロビーでせっせと書いていた。

蝉の声が聴こえ、台北より少し涼しい。
娘たちは小さなクワガタ虫を捕まえて帰って来た。

夜は繁華街には行かず、そこに付設されたレストランで600元(当時約2000円)のセットメニューを4人でいただいた。大皿で品数も多く、全部食べきれないほどだった。味もなかなかのもの。
さすがに山と湖に挟まれたロケーション、台北では望めない涼しい夜が訪れ、ツインベッドには私と娘たち、リーは固い方がいいと床で就寝。
あまり眠れない私は、何度もクワガタくんが這うガリガリという音を聴いた。

翌朝、リーも寝不足を訴えた。どうもアリがいるらしく、咬まれて痒かったらしい。それで4時頃からテレビをつけていた。

朝食は7時半から。
8時半には再びマイカーに乗り込み出発。
と、ほどなく、運転席からリーが「玄奨寺へ寄って行こう」と声をかけた。
posted by マダム スン at 05:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 家運低迷期突入す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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