2009年10月29日

じーちゃんばーちゃん付き添いで関空へ。ラン、予想外「いい子」に変身。80日ぶりの台北、亜熱帯パワーに汗。

いよいよ台北に帰る日が来た。
梅雨の最中、蒸し暑さが増していた頃だった。
1歳半のメイと2歳8ヶ月のランを連れ、荷物を抱えての移動は骨が折れるため、両親が関空まで付き添ってくれた。
娘たちは大人の大変さもどこ吹く風で、電車やバスを楽しんだ。
しかし、
「台湾にはじーちゃんもばーちゃんもいないよ」
とか
「じーちゃんばーちゃんが喜ぶから、また日本へ帰ろうね」
と言うと、悲しい〜などと言い、泣くのだった。

関空までが遠いのだが、そこからも私の正念場だった。
毎回、飛行機に乗る際、娘たちは早朝起こされ、寝不足のはずなのに
道中、機内ともにうたた寝すらせず、大きな声ではしゃいだり、あれこれ触ったり、歩き回ってこちらは冷や汗、ため息ものだった。
それでも、特に客室乗務員たちは幼い子供が可愛いらしく、ニコニコおおらかに接してくれたが、親としては恐縮し通しであった。JALグッズなどをもらい、チャイルドミールは目も楽しませてくれて、ランはご機嫌なのだが……

ところが、その日は私の不安をよそに、予想外の成長ぶりをランは見せた。
搭乗後、席にちょこんと座り、安全ベルトを自ら締め、ウロウロ動かず、しばらくスヤスヤ〜、見違えた。

80日ぶりの台北。
到着した夜は30度を下らず、翌日も早朝すでに31度><
亜熱帯・台北生活に再び突入。
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2009年10月28日

ブログ開設一周年に感謝。 祖母の法要、念仏にメイ拍手。

実は、今日で当ブログを始めてちょうど一年になる。
たしか、一日も休まず更新してきた。
ここにも、中国語や二胡に魅せられ、やると決めたら毎日励んだ私の頑固、一徹ぶりがうかがえて苦笑いである。
それはさておき、ブログのいろはを親身になってご指導くださった、我が師匠・Nさん、そして、毎日読んでくれている方もいるらしい訪問者の皆様に心から感謝申し上げたい。今後とも、ごひいきを!

さて、台湾帰国を2日後にひかえた7月8日、車で35分くらいの母の実家へ初めてランやメイも伴い、おじゃまする。祖母の13回忌の法要が行われるのだ。
その実家は母の弟があとを継いでいる。めったに果たせない再会を期待していた東京の伯父は、やはり病気のため帰省できなかった。

1歳と2歳の娘たちも、和尚さんの読経や、寿司料理屋での豪華な昼食に同席させてもらう。メイは、和尚さんが念仏を終えた時、タイミングよく、パチパチパチパチ……。拍手。
「念仏あげて、ほめてもらったのは初めてです。」
と、30そこそこ、長身の和尚さんは頭をかき、場は笑いに包まれた。

思い起こせば、私が一度目の台湾留学に旅立った1994年8月、日本を発って2週間もたたないうちにこの祖母は亡くなり、お葬式に出られなかった。慎ましやかで、上品で、昔の面影を残す、きれいなおばあちゃんが大好きだった。
今回、2人の娘を連れてお参りできて、少しはおばあちゃん孝行ができた気がした。
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2009年10月27日

リー、大手・中国信託へ面接に。サラリーマンの道模索。台湾行き船便出荷。自分の「原則」とは……

大阪行きの数日後、サッカーの中田英寿が29歳で現役引退、とのニュースが流れる。米国の大学院に進み、MBA取得を目指すという。
さて、既にMBA取得者のリーだが、私の内なる願いが届いたのか、再びサラリーマンとなる道も模索し始めていた。知人の勧めで、台湾の大手金融機関のひとつ、中国信託の面接を受けたり、10日間で辞めた会社を紹介したボブ呂がオーナーを務めるIT関連の会社からも声がかかっていた。

2ヶ月間も実家にいると、日本の物をあれこれと台湾に持って行きたくなる。娘たちは幼いというものの、彼女らにも必需品は多い。
そこで、ダンボール2箱分を船便で送ることにする。約3週間で台北に届く。日本でしか手に入らない食品や書籍類は本当に重宝するのだ。

あの時期読んだ本は相変わらず仏教関係のものが多かった。『般若心経88講』(ひろ さちや著)はそのひとつだ。
はじめて養老孟司の本も2冊読んだし、子育てに関する評判のいいものも手に取った。
台湾帰国直前に発売された『サライ』の特集が「般若心経入門」で、喜々として購入、帰りのスーツケースに納めた。

迷っていた。
生きる指針となる何かを渇望していた。
それは現在でも変わらない情けないザマだが、あの頃はしきりに仏教にそれを期待していた。
「自分に原則があれば揺らがない」と養老孟司は説く。
今一度、その言葉を咀嚼(そしゃく)している。
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2009年10月26日

共同出版を勧められ、担当者を訪ね大阪へ。安くない費用に迷う。P社倒産も、筆を持ち続ける。

私が積極的に物書きに心血を注ぐようになったのは台湾で結婚してからだった。リーが当時赴任していた香港へ移り住むため、会社と中国語の学校を辞めたあと、ようやく書くことに時間をとれるようになったのだ。エッセーや旅行記、小説などを書いては規定に合うコンクールなどに投稿。上位入賞はできなかったが共同出版しなきかと声をかけられることは多かった。

あの2ヶ月半の日本滞在時にもP社の加藤という担当者から自宅に何度も電話があり、共同出版の形式で本にしないかと勧められ、7月1日、大阪にある支社を訪ねることになった。
これは費用の約半分を作家が負担する、昔はあまり聞かなかった出版方式で,だいたい100万円以上かかるのが相場だ。そして、今はWEBだけに作品を掲載する契約も可能と聞く。

文章を書く者にとって、自分のかわいい作品が活字になり人様の目に触れるというのは大きな目標であり、喜びだ。
しかし、そんなまとまったお金をつぎ込むことにはやはり抵抗も躊躇もあった。独身の身ならまだしも、もう子供が2人いる。無名の物書きの端くれの端くれが書いた本で元が取れるとも考えにくい。
わざわざ大阪まで出かけたが、私は一切断わることにした。自腹を切らずに自分が書いたものが出版されるところまでがんばるべきだという信念と決意を再確認もした。

まあ、あの判断は結果として吉と出た。
その数年後、P社はつぶれた。

この、ヘタに豊かに、選択肢が多くなった時代、心が病み、見失いそうな自分を取り戻したいとペンを持つ人は増えた。誰だって文章は書ける。作家志望なんてゴマンといる。
この現実に悩むことはたびたびあったが、私はそんなご時世とは関係なく、やはり書きたかった。書かずにはいられないように造られているのだと思った。
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2009年10月25日

ラン、町医者へ。5日目に抜糸。託児ありの俳句講座受講。だが、台湾での俳句は断念。

いわゆる町医者で、地元住民の健康を長年にわたり守り続けてきたその外科が専門の沢井先生は、かつての英会話仲間でもあった。
私が学生時代、長期休暇で東京から帰省していた期間通った教室で一緒だった。口は良くないが、正直で素朴、とてもいい先生だ。
自業自得とは言え、ランは泣きながらもがんばった。麻酔注射を打ち、ひと針。そこで血が止まったので、ひと針で済んだ。包帯を巻かれ、化膿止めの飲み薬が出る。
その後3日間薬を換えてもらいに通い、5日目に抜糸して一件落着。

こんなことはあったが、基本的に私たちは実家でのびのび、充実した日々を送った。
母は60歳以上にしか入学資格がない地域のOB大学にこの年入学、週に一度、お弁当を持って授業に行った。
私は、隣り町の子育てセンター主催の1日俳句講座へも顔を出した。託児があり、ランもメイも連れて行けた。かねてから俳句に興味を持ち始めていたため、とてもタイムリーな企画に出会えたわけだ。

  駆け帰る 丸い手のひら 初きゅうり

恥ずかしながら、初めて詠んだ句。畑でもいだきゅうりをうれしげに持ち帰るランの姿を描いた。
台湾でも俳句つくりをしようと『俳句歳時記』まで購入したが、台湾に帰ってから、ここでは句が詠めないと愕然とする。
気候がちがうからだ。
日本は四季がはっきりしている。春夏秋冬の境があいまいで、亜熱帯の台北では、日本の季語の感覚や時期がずれてしまう。

俳句は日本ならではの、日本が誇るひとつの文化なのだ。
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2009年10月24日

梅雨。農道にあふれるおたまじゃくし。米30kg追加購入。お転婆ラン、カミソリで大ケガ。

梅雨を嫌う人は少なくない。たしかに何日もしとしとザアーザアー雨が続いたら滅入って来る。そのたび太陽とか日差しのありがたさを実感し、生き返る思いがするが、私は案外6月が好きだ。アジサイが昔から大好きだったからかもしれない。

日本の実家に帰るたび、犬の散歩は私の仕事になる。
6月中旬になった。ある雨の日、夕方老犬の域に入ったハナと散歩に出ると、田んぼの水かさが増したのか、おたまじゃくしが大量に道路に流れ出てしまっている。アスファルト舗装ながらも農道のような車の通行量が少ない道なのでまだいいが、あまりの数に何もできず胸が痛む。

翌日、父と娘たちと一緒に出かける。お酒を中心に諸々の食品や花、種などを扱う馴染みの店へ行き、お米を30kg購入。
毎年父の友人からまとめて一年分分けてもらっているが、だいたい新米ができる前に足らなくなってしまう。「梅雨を越したら米の味はぐっと落ちてしまう」と嘆く父ゆえ、これもいいのではないかと思う。
この店は、地元農家作のお米を積極的に置いており、生産者の名前や顔がわかるのもよかった。
両親も私が小学生くらいまでは細々ながらお米を作っていたが、以来田んぼは人様に預けている。

その2日後だった。めずらしく母も在宅の火曜日の午前中、母屋から両親が私を呼ぶ。
あわてて行くと、ランが右手人差し指の先から血を流し泣いている。真っ赤なそれはとめどなく溢れ、父と母が順番にテイッシュで拭いて止血を試みている。
誰も現場は見ていないが、ランに問いただすと、私の部屋のドレッサーにあったカミソリで切ったらしい。もう置物になったようなドレッサーの引き出しを開けて物色していたのだ。

小児科しか受診したことがなかったが、このケガなら外科でもいいだろう。外科なら車で5分ほどで行ける。
叱るのもほどほどに、私はランと車に乗り込んだ。
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2009年10月23日

日本滞在延長、航空券も無事変更。リー、ソウルでの態度を謝る。起死回生。

入梅の翌日、6月12日、当初台湾へ帰る予定にしていた6月下旬を7月10日に延期したいことをリーに告げ、承諾を得る。
7月8日(土)に母方の祖母の13回忌法要が行われることになり、東京、名古屋、大阪などからも親戚が集うらしく、ランやメイをみんなに見てもらうめったにない好機ととらえたのだ。東京に住む伯父は病床にあり、帰省が危ぶまれたが、一応帰って来るだろうとのことだった。大学時代を東京で4年間送った頃は、頻繁に遊びに行ったが、その後私自身ほとんど伯父家族とは会うチャンスがなかった。

航空券も無事変更でき、ホッとする。
リーも思った以上にすんなり許してくれた。

正直言うと、夫がいわゆる失業状態でずっと在宅しているなんて未経験、非常事態と言っても過言ではない。ストレスが多く、私に八つ当たりしていたソウル時代の記憶はまだ克明に残っており、「四六時中いっしょの生活」に恐怖心すらあった。
また、4月から7月初めという、日本では最高に近く過ごしやすい季節に、じーちゃんばーちゃんの田舎で幼い娘たちと暮らす心地良さは格別でもあり、去りがたかった。

ちょうどそんな頃、リーがskypeで話した時だったか、私に謝ってきたので驚いた。ソウルでは君に対し、さんざんきついことを言った、悪かった、と。
そして、私も日本にいる強みも手伝い、悲しくつらかったことや夫への希望などを素直に手紙にしたためたりした。彼には長所もたくさんあり、私にも短所は多い。互いに反省し、改善し、うまくやっていきたいと願った。
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2009年10月22日

リー、104人力銀行へ履歴書送る。春の収穫に喜ぶ。ランは苺好き。『婦人公論』届く。

リーは私より年長で、家庭内の大きな決定も最終的には彼が行うことがほとんではあったが(と私は思っている)、一応私の意見を求めたり、私の忠告や願望が一定の影響を及ぼすようには見えた。
その時もそうで、彼は2週間ほど経った5月末、台湾の大手オンライン人材バンク「104人力銀行」に履歴書を送り、登録したと言った。ネットで就活するならまずここ、というほど大きな会社で、市バスの車体などにもそこの広告が描かれている。
彼への私の影響力云々はさておき、とにかく起業に突っ走ることだけは回避した状況に、ひとまずホッとする。

さて、5月は私の誕生月だ。
昔はだいたい中間テスト期間と重なり、あまり晴れやかな気分でない時もあったが、やはり夏から初夏に向かう緑濃くさわやかな季節は、うれしくない「老化」しゆくユーウツを緩和してくれる。
そら豆、えんどう、蕗、グリーンピースなど我が家の畑に実ったり、ご近所さんがおすそ分けしてくれたりと、春の収穫は続く。豆を皮から取り出す作業をランが手伝えるようになり、祖母と並ぶ微笑ましい姿を私はそっと楽しんだ。
また、この時期、ハウス栽培はしない苺が色づく季節で、「ランちゃんたち帰って来てるみたいやし……」と近くの何軒かが苺を届けてくれたりもした。

はしり梅雨があったが、また晴天が続き、6月を迎える。
4日、6月22日号『婦人公論』が郵送されて来た。表紙は松田聖子である。
韓国生活について書いた短いエッセーを「読者のひろば」に投稿したら掲載されたのだ。
今も、この6月22日号は書斎の本棚にある。
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2009年10月21日

民宿家族経営に待った!リーの起業構想に断固反対する。

今年の夏休み、台湾に一時帰国した時も訪れた宜蘭縣は台北から車で1時間半ほど、東澳はエメラルドグリーンのすばらしい海が臨め、小さな村の小学校を山側に進めばキャンプもできる水辺もある素敵なところだ。自然が好き、アウトドア派のリーがこよなく愛するのは理解できる。
しかし、何でも事業を興すのには資金が要る。誰かと組んだり、出資を頼まねばならないだろうし、うまく軌道に乗る保証もない。
公務員の家庭で育った私は、ただ「商売」というだけで恐怖感を覚えたし、夫婦2人で切り盛りし、もし無理なら現地でひとり雇って手伝ってもらおうと考え始めていた私に、リーはこう言った。
「やるならお袋やシューエンも連れて行って一緒にやるよ。」
シューエンとは私からすれば義理の妹、リーの弟の奥さんである。

え?

これで、揺れていた私の気持ちは決まった。断固反対。
みなが住み込んで働くということだ。断固反対。
言うまでもなく、私は義母や義妹が嫌いではない。もちろん彼女らは善人で、世話にもなっている。
だが、これとそれとはまったく別問題だ。
気は遣う。やはり日本人と台湾人の生活習慣や価値観の差異も同居となるとさらに歴然としてくるはずだ。
それに、報酬や休日でもそれぞれに言い分や希望はあるだろう。近しく親しい者同士だからこそ言いにくいこと、ぶつかってはいけないことがある。

私は勇気を出し、はっきりその旨リーに訴えた。
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2009年10月20日

春の風邪盛んも食欲落ちず。ランの反抗期にノイローゼ気味、メイは大の犬好き。リー起業願望を憂う。

あの年の春は寒かったせいか、ランもメイも、そして私も代わりばんこに鼻かぜなどをひいた。
だが、風邪をひいても娘たちの食欲が落ちることはほとんどなく、ふだん通り元気でいてくれた。2100gと、ランよりさらに270g小さく生まれたメイもだんだん、すくすく育ち、自分のより多く盛られた姉のおやつにすばやく手を伸ばすこともあった。なかなかのお転婆。
あの頃私を悩ませたのは、依然として2歳のランの頑固な反抗期で、我はとことん通すわ、気に入らないと叩くわ、わめくわで育児ノイローゼ寸前だった。
メイの特徴は大の犬好ということと、ランとちがい、苺やキウイなど見た目がきれいで、子どもならふつう喜びそうなものでも初回はだいたい敬遠し食べない点だった。この2点は現在でも見られる彼女の性質である。

さて、10日間で新しい会社を辞めたリーは少しずつ回復していた。
私も勤めていたオンラインゲームの会社やそこをリーのように退職した友人たちとも連絡を取り、「次」を探し始めたが、コラーゲンの会社を辞めたことで、かねてからあった起業への熱き思いが再燃するのは必至。私はそれをとても怖れた。
リーが最も興味を抱いたのは、民宿(ペンションと称してもよい)経営だった。
ここでも書いたことのある、台北の北隣りの宜蘭縣東澳という海辺の小さな町を彼はこよなく愛し、そこで海が見える小さな民宿をやるとの構想があった。
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2009年10月19日

冷めた目、ワンマン社長、社内不倫に悩むリー。朝、台北から国際電話。わずか10日目の辞表。

リー高校時代からの親友の紹介であったし、リーの面接時には好ましかった社長の態度に安心していたが、開けてみれば空気はがらりと変わった。
そのリーの友人・ボブ呂は潤沢な資金を持ち、自ら会社を興したり、知人の事業に投資したりして、人脈にも恵まれていた。
新しい会社の面々はリーを何かにつけ「あいつはボブの顔で入った奴だから」という目線で見るため、リーは仕事がやりにくくて仕方ない。
社長もワンマンで、社員との関係も良好ではなく、財務担当と誰かれが不倫やら何やらと、社内の雰囲気、居心地は非常に劣悪であった。

お給料は前より下がるのは必至だった。前が良すぎたのだ。
しかし、当初聞いていたより約2万円近く低いところからスタートと告げられたりもした。

リーは苦悩していた。
私は何とか良い方に転ばないかと期待し続けていた。

が、5月12日朝、台北から電話が入った。リーだ。今日、辞表を提出しようと思う、と言う。
そして、午後skypeで話した時には会社に辞意を告げて帰宅していた。
驚いた。本当に辞めて来てしまったのだ。

入社してわずか10日。
コラーゲンなど健康食品を扱う会社との蜜月は夢に終わった。
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2009年10月18日

我が子に向かう心構え。彼女らの人生で母親は脇役。リー、初出勤直後早くも苦情。

往々にして、幼い我が子を自分の付属品のようにとらえたり、何もかも母親である自分が決定し、コントロール可能な錯覚に陥ってしまう誤りは多い。この世に生まれた順番の前後があるだけで、乳飲み子でも人格と気高い魂があり、自分とは別個の、独立した人間であることに気づかないこともある。
そこまで行かずとも、思い通りにならない子どもの行動に立腹し、子育てや家事疲れもたまって、叱り始めるとどんどんエスカレートし、ヒステリックな自分に愕然としたり、事後、ようやくしきりに悔やみ、自己嫌悪……。
それで、私も日記にあんなことを書いたのだろう。あたかも私が娘たちの人生を支配しているような驕り(おごり)を嫌い、彼女たちの人生において、たまたま彼女らを産んだのが私であり、母親としての役割を天から与えられた、とてもシンプルな真実に気づいていたかったのだ。

それは何も子どもが幼い間だけでなく、生涯心していなければならないことだろう。

さて、4月28日ひとり台湾へ帰ったリーは、5月2日、新しい会社に初出勤した。
ところが、ソウル時代、私の反対を押し切る形で前の会社を退職した彼であったが、早々にして不満を吐露した。
以前は、11階の我が家の窓からその商業地のビル群が見える近さだったが、新しい職場は台北市内湖区という、我が家からは台北市を縦断せねばならない距離にあった。渋滞がなければ25分くらいで行けるが、恒常的渋滞に悩む台北では40〜50分かかることもザラであり、当時彼が乗っていたパジェロは通勤車とは言えず、ガソリンをすこぶる消費するのも頭が痛いことだった。

もちろんそれらは事前に予測できたことだったが、リーを憂鬱にしたのは、他ならず、会社の雰囲気の悪さだった。
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2009年10月17日

日本ならでは?干し魚、塩焼きをリーは堪能。ラン腸かぜ過ぎてすこぶる食欲、反抗期に泣く私。

リーはくしゃみと鼻水に悩みながら、娘たちの世話を甲斐甲斐しくこなし、好物の干物を連夜食べ、ゴールデンウイークが始まる28日台湾へ帰って行った。
台湾も魚消費量は多い。日本にない種類もあり、おいしいが、干し魚を素焼きして食べる習慣がない。揚げる、油で炒める、鍋物に入れるのがふつうで、私はいわゆる魚の「塩焼き」が時々とても恋しくなるものだ。
リーは日本の干物か、塩焼きにしたさんまやアジに目がなく、来日時の楽しみのひとつにしている。

私も台北では味わえない日本の味をどんどん作った。
まだ肌寒い日が多く、鮭の粕汁がおいしかった。
お好み焼きも日本が誇る珍味、ランも大好きだ。
この頃から、メイの食事を少しずつ私たちと同じメニューにする。スパゲティははじめ戸惑ったが、手でわしづかみにして食べた。
帰国後まもなくランは腸かぜをひき、小児科へ走ったが、回復は早くすこぶる食欲、反抗期真っ只中で泣かされたものである。
初めての子育てで思うように冷静になれない自分を嘆くこと多々あったあの頃。
私の人生にランとメイがいるのではなく、ランとメイの生活の隅に私がいるのだ、と自分を戒める言葉を日記に記している。
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2009年10月16日

保育園短期入園断念。リーと神戸へ。メリケンパークからクルーズ。台湾にはない花粉症にリー苦しむ。

一時帰国4日目、最寄りの保育園を訪ねる。
この辺りは田舎で、私立のものはなく、各校区にひとつ保育園や幼稚園、小学校があるだけである。
日本滞在は約2ヶ月の予定だったが、2歳半のランにさらに社会生活を味わわせてはどうかと思いついたのが保育園短期入園だった。
保育園は幼稚園と体系が異なり、保育料が家庭の収入に応じて決められると聞いていた。幼稚園よりかなり高いらしいが、既に定年退職して長い父の収入なら安いものだろうと楽観していた。

ところが、保育園へ行くと、大歓迎だが保育料の詳しいことは市役所で訊いてほしいと言われた。
後日、説明を受けると、海外在住であってもあくまで父親の収入をもとに算出するため、1ヶ月の保育料は4万円を超えることが判明。週何日かだけにして日割りにするとさらに割高になり、手続きも厄介そうであきらめることにする。><
その分、町の子育てセンターに頻繁に連れて行ったり、各保育園や幼稚園が定期的に行う園開放日を目いっぱい利用させてもらった。

リーの日本滞在は一週間。
4月25日は両親に娘たちを任せ、2人で神戸日帰りぶらり旅に出た。子どもたちがだいぶ成長したからこそ実現したささやかな息抜きだった。
かつて1年余り暮らした神戸。
東京出張は多かったが、神戸は初めてのリー、私は三ノ宮、中華街などを案内し、市役所24階にある大好きな展望台にも上った。
そして、メリケンパークから45分間クルーズへ。(当時、大人1000円)よく晴れて暖かく、建設中の神戸空港も見えた。

もともとアレルギーのあるリー、ここ数日どうも花粉症にやられ、クルーズ後薬局で薬を求める。台湾には花粉症がないため、すぐ治るだろうが、かなりつらそうであった。
何はともあれ、楽しい春の1日に感謝。
posted by マダム スン at 05:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本へ里帰り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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