2009年10月15日

動物園初入園。リー退職。ソウルからどっさり家財道具届く。寒い日本へ一時帰国。

4月17日(月)薄曇り、まずまずのお天気。
この日我が家4人は初めて台北市立木柵動物園を訪れた。
この動物園のことは、今年7月、夏休みに台湾へ一時帰った際にもブログで詳しく書いたが、初入園(?)はランが2歳の春だったわけである。

その2日後、リーは退職の日を迎えた。夜7時から送別会。

そして、翌日韓国から家財道具が届いた。2週間ほどかかると聞いていたが、4月5日に荷が出て……たしかに15日目に着いたことになる。
家中段ボール箱ジャングルと化し、これを一つひとつ整理するのかと思うと、逃げ出したくなった。
いや、本当に逃げるわけではないが、翌21日は家族そろって日本へ帰り、1週間ほどで先に台北に戻るリーがゆっくり片付けることになっていた。もちろん、彼に押し付けたのではない。埃はするし、たくさんあるし、子供たちがいない方が良いだろうということになり、彼が買って出たのだ。感謝。

21日は朝8:40発の、今は無き日本アジア航空を予約してあった。
早朝5時前起床、6:30頃出発し、スムーズにチェックイン。
9ヶ月ぶりの日本、関空に到着すると、わずか11度、寒い。
二胡を肩から提げ、メイのベビーカーを推し、ランの手も取りながらの大移動、空港バス、電車と長い道のりである。

乗り換え時にホームをまちがえ、40分ほど余計な時間をとったが、無事帰宅。
やはり寒く、時折ストーブをつけながらも、やはり実家はいいもんだ。

熟睡。
posted by マダム スン at 05:15| Comment(0) | TrackBack(0) | さよならソウル、リー転職 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月14日

台北の2季節同居気温。名著「育てる者の日常」に訓えられる。子育ては自分も成長過程にあり必須課程。ソウルに桜咲く。

台湾にも「四季」という言葉があるので、それは実際存在するものと思われるが、日本以上に季節を超えた気温の変化が頻繁に起きる。
ソウルから帰国まもないあの4月も然りで、30度を突破する日があったかと思えば、17度まで下がり、最高23度という肌寒いような日も現われた。

4月21日日本の実家へ一時帰国、というスケジュールをにらみながら暮らす。
以前通っていた音楽教室とも密に連絡をとり、週に一度は二胡のレッスンを受けた。
多忙な毎日にあっても、その頃松江の従兄夫婦がソウルに郵送してくれた「育てる者の日常」という本を読んでいた。著者や出版社名は忘れてしまったが、彼らが子育て時代に愛読した本で、ぜひ私に贈りたかったと、親切に航空便でプレゼントしてくれたものである。

賢明なる従兄夫婦が推薦するだけあり、心に響く真実の言葉に彩られた書で、私は改心したり反省もしきりであった。
その頃、メイは1歳3ヶ月、ランは2歳半。
反抗期真っ只中のラン、言うことを聞かず、わかっているようで繰り返し危ないこと、以前叱られたことをしでかし、私をムカッとさせた。あれだけ教えても、なかなかちゃんとトイレで用を足さず、「この子、大丈夫なんだろうか、、、もう2歳半なのに」と不安にもなった。
彼女らをしっかり諭さねばならない時、ついカーッとなって過度に声を荒げてしまうこともしばしばで、気づいていながらコントロールが利かず自己嫌悪。幼い彼女たちが不憫で、申し訳なく、謝ったこともあった。
子育てとは結局自分の成長過程でも成長課程でもあるのだ。

リーが諸々の雑務のため、数日間ソウルへ飛んだ。
帰国後、自宅マンションの庭の桜の花が咲いて美しいことを告げた。
やはり日本より遅い開花なのだが、薄桃色の花があの丘に揺れる情景を思い浮かべると、たまらなく切なくなった。
posted by マダム スン at 05:52| Comment(0) | TrackBack(0) | さよならソウル、リー転職 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月13日

4月上旬、台北は初夏。苗栗縣へパジェロでGO! 居留証更新手続、規定変更で不便になる。

オンドルで室内を「春」に保っていたソウルとは気候の違いは歴然としており、台北では半袖姿の人をちらほら見かける4月上旬であった。
愛しい韓国を離れた寂しさと未練にゆっくり浸る間もなく、私は相変わらず多忙でフル回転だった。

台湾帰国後初めての週末には、苗栗縣の曾祖母を訪ねた。
当時リーは三菱パジェロに乗っており、その日も我が家4人、義母、そして義母のすぐ下の妹とその長女が苗栗日帰りツアーに参加、にぎやかになった。
私は皆に良い席を譲り、ランと最後部の簡易座席に収まったが、背後から太陽がぎらぎら照りつけるわ、狭いやら、ランはじっとしていないわで、夕方帰宅した時にはぐったりなっていた。
しかし、幸い高齢の曾祖母は元気そうで安心したし、のどかな田舎の空気に癒やされた。

その翌日、私は娘を2人とも義母宅に預け、板橋市にある警察局へ居留証延長手続きに行った。
現在の居留証は今年7月、台湾に一時帰国した際、その手続きをしたのだが、これはその前のものである。
ここに注目すべき点がある。
当時も居留証の満期日は7月半ばだった。しかし、4月21日より日本へ帰ることになっており、滞在がもし延びて更新手続に間に合わなかったら困るので、早めに申請しに行ったのだ。
職員に理由を話すと、難なくポン!とハンコ、まだ3ヶ月ちょっと有効期間はあるがOK。その上、次回の満期日も7月のその日のままにしてくれた。
また、台湾人と結婚して居留許可期間は徐々に長くなり、初めて最長3年間のビザを取得できた日でもあった。

ところが、その後法改正したのだろう、日本の運転免許証のように更新期間が限られるようになり、それにその後気づくことになる。
満期日からさかのぼり1ヶ月前。その1ヶ月間しか延長手続ができず、とても不便になった。
posted by マダム スン at 05:44| Comment(0) | TrackBack(0) | さよならソウル、リー転職 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月12日

さよなら、ソウル。いち時代の終焉。台湾帰国後、即ケーブルTV,ADSL再開工事。

台湾帰国を前日にひかえた4月5日、足繁く通った最寄りのチェーンベーカリ、パリス バゲットにパンを買いに行った。豊富な種類が揃い、店にはコックさんのあの長い白帽を被った若い女性のパン職人、学生バイトらしき可愛い店員と韓国美人そのものの麗しき店長。ランやメイを可愛がり、連れて行くと毎回のようにパンやクッキーなどをくれた。
お気に入りの食パンなどが売り切れるのを怖れ、しょっちゅう予約を英語で四苦八苦しつつ交渉したものだ。焼きたてアツアツのそれを袋の口を閉めずに持ち帰ったこともしばしばだった。

それから、元高校教師のマンション管理人のおじさんには中国語で手紙を書き、キミーにハングル語に翻訳してもらったものを渡した。言い尽くせないほどの感謝にあらためてジーンと来る。今も元気だろうか。ランとメイを見せに行きたいなあ。

万感迫る一日。
さよなら、ソウル。
そして、リーと出会い、多くの親しい同僚がいるあの会社から、とうとうリーも私も籍をはずし、過去のものとなっていく。

4月6日、早くも日差しが初夏の台北に着いたのは午後4時。
飛行機でともに帰った荷物をその日のうちにだいたい片付ける。
まだ殺風景な我が家、メイを義母に預ける。
翌日、さっそく止めていたケーブルTVとADSL再開作業に午前午後ともに来てもらう。これでNHKが見られるようになり、インターネットにも接続可能に。

まだ家財道具がそろわず、昼も夜も台湾名物バイキング式食堂・自助餐の世話になる。近所に芳香自助餐という安くておいしい店があるのだ。
posted by マダム スン at 06:19| Comment(0) | TrackBack(0) | さよならソウル、リー転職 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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