2009年09月01日

キミーは台湾留学経験ありの秘書。マンション管理人、テイさんは元高校教師。彼の存在に助けられる。

リーの台湾本社出張は毎月あり、数日間とは言え、週末にかかる時は特に緊張を強いられた。その地の言葉ができないということは、実に非常に肩身の狭い思いをさせられると痛感する。
平日なら、台湾の大学に留学していた、中国語を解すリーの秘書が隣りのビルに出勤しているので、まだ気は楽だった。何かあれば、すぐ来てもらえると思えたし、彼女も常に私たちを気にかけてくれていた。
彼女はキミーという30代前半の独身で、私と同じ一人っ子、両親と同居していた。リーは時々、キミーの中国語の書く能力に不満をこぼしたが、私と会話する上では何ら問題はなかった。ランやメイも可愛がってくれた。

キミーが出勤して来ない週末にリーの出張が当たると、頼みはマンションの管理人に移行した。キミーの携帯番号は知っていたが、彼女の自宅から我が家までは1時間ほどかかったし、実際、数人いた管理人の男性は交替で24時間詰めており、日頃から顔を見れば親しく挨拶を交わし、信頼も寄せていた。

中でも、管理人長らしい70歳になろうかと思しきテイさんは勤務回数が多く、年齢のわりに(失礼!)英語が少しでき、日本語の単語もちらほらわかったし、人の良さそうな笑顔が何より私たちを和ませた。たしか高校の先生をしていて、退職後家でぶらぶらしていてもつまらないと、その仕事を始めたらしかった。
アンニョンハセヨ〜くらいしかまともに話せない私だったが、身振り手振り、英語もまじえて、わかったのかわかってないのかはっきりしないまま、互いに笑い、頷き、手を振り合ったりして、それでも通じ合う実感を喜んだ。
テイさんにとって、ちょうど孫ほどのランやメイを見るたび、「オ〜!!」とやわらか笑顔で近寄り、抱き上げたり、頭を撫でたり。
娘たちもすっかり彼になついていた。
リーの留守時、テイさんが特に夜勤だとうれしかった。
管理人室の中や、そのドア付近にパイプ椅子を出し、腰掛ける彼の姿を思いつつ、ひと晩何事もなきことを願い、眠りについたものである。


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2009年08月31日

当時、韓国ウォンは円換算がラクだった。8月15日韓国独立記念日。リー、台湾出張に緊張する。

当時、韓国の通貨は1円に対し10ウォンと計算しやすかった。
たとえば、例の麗しき店長のいるベーカリーで食パンを買う時、だいたい1800ウォンくらいのものをよく買い求めた。すると、日本円で180円という具合に0をひとつとればいいわけである。あの頃台湾では、台湾ドルを約3.5倍して日本円をはじきだしていたのに比べ非常に楽だった。
しかし、いずれにせよ、頭の中ではウォン、円、そして台湾ドル、すなわち元が掛けられたり割られたりして常に姿を変え、忙しかった。

週に一度のアメリカ系大型スーパーWalmartでの買出しは10万ウォン前後になることが多かった。私もリーも倹約家に属する者で、ゼイタクな品には手を伸ばさなかったが、だいたいそれくらいにはなった。
正直に言うと、リーのソウル時代の給料は「外地手当」なるものが上乗せされ、日本の定年退職間際のサラリーマン並みになったが、韓国の物価高の前に、そんな裕福感など打ち砕かれていたのは確かであった。円や元に換算し、ひどく割高なものには手を出さず、紙おむつのようにリーが毎月一度、台北本社に会議のため帰る時に買って来るようにしていた。
紙おむつはかさばる。リーのみでは追いつかない物はソウルに出張で来る気の知れた同僚にも頼む徹底ぶりであった。韓国の紙おむつは、総じて台湾のものの倍したのである。

8月15日、韓国独立記念日。
午前中、家族4人でCOEXへ行く。
そして、母娘がソウルへ移住して以来、初めてのリーの台湾出張。2日間だけであるが、ソウルで私と幼い2人の娘だけが留守を預かることになり、かなり緊張してその日を迎えた。
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2009年08月30日

水、お手拭がなくてもキムチ?! 米俵の如き白菜、専用冷蔵庫、、、、、 韓国はまさにキムチな国。

キムチの話を続けるが、お国柄というのはおもしろい。
週に一度は家族そろって外食に出かけたが、食堂、レストランに入り腰を下ろせば、日本なら水やお手拭が出るところ、韓国ではキムチが供される。結構な量なので、一足早く韓国入りしたリーに、
「これ、無料なの?」
と尋ねたものだ。
無料どころか、食べ終えてしまったらまた足してくれるという。
白菜キムチのみの店、大根など数種類出す店など様々、味も店の数だけある。
注文したものを待つ間、さっそくリーと赤く色を染めたそれに箸を伸ばすのが常で、互いに一口いただいたところで感想を述べ合う。
だいたい私たちの評価基準、すなわち好みのキムチは合致していた。
酸味がきついもの、激のつく辛いものは好きではなかった。好みは、辛いのだが全体にまろやかで、甘味さえ感じる絶妙キムチ。これに出会えば、その店は記憶に残り、繰り返し行きたくなった。

かなり多くの香辛料を使い作られるキムチ、もちろん辛く、刺激物と言える。胃の弱い私は当初、美味なるキムチに出会い、つい止まらずバリバリ食べてしまった後、胃もたれするのでは、と不安になったがキムチで体調が狂ったことは一度もなかった。脱帽。
聞けば、韓国のだいたいの家庭にはキムチ専用の冷蔵庫があるという。白菜が収穫される時期、そこかしこで米俵顔負けのビッグ白菜がゴロゴロ、何事かと思うほど豊富に売られているのは、キムチ用だとのちに知る。ソウルで知り合った日本人の中でも、
「うちの義母も毎年作りますよ」
という人が多かった。
本当に、本当に、韓国はキムチな国なのである。
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2009年08月29日

義母の帰国にしばし心揺れる。現代百貨店のデパ地下、量り売りキムチは絶品。おみやげにもどうぞ。

義母が予定を少し早めて台湾へ帰ることで、私は複雑な心境であった。
娘たちは幼いながら、私には私の教育方針や日常彼女らと交わす小さな取り決めをもとに暮らしが成り立っていたのだが、義母にそれらを説明しても理解してもらえず、ストレスがたまる。
私のやり方を端から重視していないとも見えるし、丁寧に説明したつもりでも伝わっていないこともしばしばある。もちろん中国語での会話なので、言葉の問題かとも思ったが、どうやらそうではなく、義母は自分の聞きたい内容の話しか聞こえて来ない耳の持ち主のようだった。
私もこういう性格なので、すべて腹に収めることもできず、言葉を選びつつ義母に改善を促すことはたびたびあった。角が立たぬよう気を遣うため、胃が痛んだ。

その一方で、慣れぬ土地に幼な子を2人連れて来た緊張感と忙しさは相当なもので、一人でも「身内」が多く身近にいることはありがたく、義母帰国以降どう乗り切るか不安も常にあった。日本の母には何度も
「ほんとに一人で大丈夫?どうやって行くの?」
と脅かされていたものだ。

義母は思い立ったらそうせずにはいられないタチで、彼女にとっても勝手のわからぬソウルでの暮らしは不便なものであるのは容易に見て取れた。台北での自由な生活が恋しくなるのも当然とも言え、私はあまり考え過ぎないよう努め、感謝の言葉をたくさん述べて義母を見送った。

ソウル生活も2週間ほど経つと、おおまかなことはわかり始めた。マンションから見て、COEXの向こうに隣接する現代百貨店にいわゆる「デパ地下」があり、食品売り場があると書いたが、物によっては例のWalmartと変わらぬ値段で買えると知って以来、ちょくちょく歩いて通うようになった。
リーは昼食を自宅で取り、少なくとも1時間は家にいるため、その時間に急いで現代百貨店を往復した。常に時間を気にして気ぜわしかったが、週末のWalmart行きのみに頼らず、またちょっとした気分転換にもなり、よかった。

現代百貨店のデパ地下で最も記憶に深く残るのはキムチである。
主に50〜60代のおばさんが店番をする量り売りキムチは絶品で、その美味を知ってからは他のキムチは買わなくなった。
最も一般的な白菜キムチは普通のと激辛の2種類あったが、私もリーもマイルドで辛くも甘さすら感じる普通の方を好んだ。バリバリいけるおいしさ! 
台湾に帰る際の土産としてもたびたびそこのキムチを買い求めた。
飛行機に乗るのだと言うと、匂いが洩れないようしっかと包装してくれるので安心できた。
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2009年08月28日

自宅周辺には韓国LGのスタンドにコンビニのOK。最寄りのパン屋に足繁く通った理由は素敵な店長のせい、、、 義母、予定を早め、台湾へ帰国。

自宅マンションから石段を下りてすぐに交差点があり、韓国LGのガソリンスタンドがあった。そのスタンド内にはOKというコンビニが併設され、時々ちょっとしたものを買いに寄ることもあった。
そこから対角線上のチェーンベーカリー、パリス バゲットにはよく通った。
台湾同様、大型スーパーでもパンを焼いているが、味は専門ベーカリーに比べると落ちたので、少々値は張ってもおいしいパンを求めた。
その後、COEX内やその近辺でもおいしいベーカリーを見つけ、最寄りのパリス バゲット一辺倒ではなくなったが、そのパン屋に思い入れが強かったのは、若い店員と一線を画した私服の店長が素敵だったからだろう。

男性ではない。
30代半ばくらいだろうか、選り抜きの韓国美人であった。
長い髪を上品にまとめ、自然なメイクに自信に満ちた立ち居振る舞い。そして、彼女はソウルで会った韓国人の中で最も流暢な英語を話した。おかげで彼女とは会話が成立するとの安心感もあり、足繁く通った。同性ながらうっとりする、魅力的な女性であった。

自宅周辺の紹介はだいたいこれくらいである。
リーは毎日10時出勤、その上、自宅の窓からオフィスが見えるのだから、その点は互いに助かった。台湾と異なり、言葉がまったく通じないソウルでは何かと不安と緊張が付きまとっていた。

さて。厳しい暑さが続いていた8月12日、1ヶ月という予定を急遽変更し、義母が台湾に帰ることになった。
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2009年08月27日

COEX、現代百貨店、地下鉄清潭駅、、、自宅周辺にどんどん詳しくなる。家族でロッテワールド探検する。

台湾時代同様、リーは毎週休2日だった。
近所の大型ショッピングモールCOEXには現代百貨店が隣接し、食品売り場があったが、デパートの商品が高いのはどこの国も同じ。
よって、毎週末車でWalmartへ通った。

散歩が日課の私は、そのうちリーよりも自宅周辺に詳しくなっていった。
自宅のすぐ裏に特別養護学校、さらに数分歩くと高校、高級住宅密集地と続きその向こうに地下鉄清潭駅。保健センターやアパート郡もその方向。

COEXを左に見て歩くと、飲食店やコンビニの多いビジネス街で、その一画に小さな雑貨店があり、そこにも食料品が置いてあることを知ってからはちょくちょく通った。これは便利だった。朝7時過ぎには経営者のオジサンが階上の住宅からとことこ下りて来てシャッターを開ける。そのうちオジサンとも顔見知りになった。

また、郵便局も自宅から5分ほどで再三通った。会話は英語に頼り、思いのほかそれに不得手な職員が多く困ったが、いつも最後には何とかなった。

さて、毎週末Walmartばかりでは味気ない。
8月7日日曜日にはロッテワールドへ行った。ロッテグループが運営する、世界最大規模の室内型テーマパークだ。
当時、何か事故があって間もない時で、遊園地は休館、ランたちは残念そうだったが、デパート内の食品売り場が意外に安く、本来はおそろしく高価な肉類を喜々として購入した。
首都ながらソウルの街は圧迫感がなく、緑も多く清潔で、車で駆けると気持ちがよかった。これさえも新たな発見であった。
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2009年08月26日

韓国女性にイメージ覆される。宝くじ当選さながらの豪邸。有名タレントの追っかけが庭に、、、

ソウル入りしたのが7月30日。
初めのうちは時間の過ぎるのが遅かった。
まず驚いたのは、ソウルの蒸し暑い夏である。台北や日本の実家の方より格段に涼しいと高をくくっていたが、しっかり暑かった。台湾ほどの高湿で高温ではないが、日本の夏によく似ていた。
それから、儒教精神が浸透した慎ましやかな国、とのイメージが強かったが、それを覆したのは韓国女性である。他の多くの国のように、真夏のその時期、タンクトップなど、肌をたっぷり出す身なりで闊歩する女性はそこかしこにいた。
それに、だ。
たとえば、道や地下街を歩いていて、ちょうど双方向からぶつかる格好になっても、ガンとして道を譲らない女性がほとんどだった。それは当初リーが指摘してもいた。
また、誰が見ていようといちゃいちゃするカップルもいる。とても普通な国なのだと気づく。

あと、特記することは新居である。
越して来た辺りは高級住宅地だったと書いたが、その完成したばかりのマンションも一生のうちに再度住むことがあるだろうか、と思うほどの広さで、快適だった。「宝くじに当たったようなもの」と知人友人に表現したものだ。
最新のカードキー。
大小含め、ベッドルームになるのが4部屋。
シャワールーム2つ。
クローゼットと洗濯機も悠々としたスペースを持ち、幼い娘たちが運動会を開けるほどのリビングとその一画にあるキッチン。
玄関に誰か来ると、カメラに映し出される。
午後、下の庭に高校生くらいの女の子がおおぜい座って談笑しているなと思っていることがあった。聞けばそのマンションに有名なタレントが住んでいることだった。
例によって、韓流とはまったく流れを別にする私にはさほどの興奮も好奇心も起きなかったが、とにかくすばらしい住居ではあった。
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2009年08月25日

ソウル在住、山口さんに電話、ソウル日本人会を教えてもらう。二胡の先生求む書き込み。ラン、魔の反抗期か?

リーと仲の良い財務部の同僚の一人に、しばらくソウル支社に勤務していた人がおり、その奥さんにソウル在住の日本人女性の連絡先を教えてもらっていた。ソウル滞在中、その奥さんはハングル語学校に通い、そこでその山口さんと知り合ったらしい。
山口さんは韓国人のご主人と日本で出会い、結婚後はソウルで暮らしていた。
ソウルで2日目の夜、さっそく私は彼女に電話をかけ、挨拶をした。

翌日、山口さんが教えてくれたソウル日本人会のHPで、日本語を話せる医師がいる病院などを調べ、リストにした。
また、利用者が質問などを書き込めるコーナーもあったので、のぞいてみる。
「コンソメを買えるところはありますか?」
「眼鏡を安く作れるお店を教えてください」
と、いろいろ訊ねることができ、答えを請えるようだった。
そこで、私も、
「二胡の先生はいませんか?」
と書き込んでみることにした。独学するつもりで来たが、一か八か探してみよう。

1歳10ヶ月になったランを時々散歩に連れ出してやった。
ところが、まだ帰りたくないとダダをこね、地べたに寝転んで泣きわめくことがたびたびあった。子供好きな通行人があやしてくれるので助かった。
家でも、気に入らないとだれかれかまわずたたいたり、蹴ったり。気性も荒いのだろうが、魔の反抗期に突入したようでもあった。
メイは7ヵ月半、ぐずったり、下痢をしたり、少々異変が起きる。
これはどうも歯が生え出したのと関連があるらしかった。
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2009年08月24日

ソウル江南区三成にある新居。coex,walmart,奉恩寺は馴染んだ場所。物価は日本以上。台湾から紙おむつ。

ソウル支社はソウルの江南区三成にあった。
そして、私たち家族の新居は、彼のオフィスが入る10階建てくらいのビルの裏手にあり、その年の春に完成したばかりのピカピカ、8階建ての2階にあった。
地下鉄の駅までは近いとは言えず、割安な大型スーパーへも車で10分以上かかったが、アジア最大と言われる地下街、COEXモールが徒歩で5分もかからぬ距離にあったし、そのちょっと向こうには奉恩寺という大きなお寺のある、恵まれた住環境にあった。聞けば、この辺りは会社社長や芸能人も多く住む高級住宅地ということだった。
韓国へ移り住んでも、私の日課である朝の散歩はリーの出勤前、欠かさず続けていた。
その時、瀟洒な邸宅や高級車を掃除するお抱え運転手をたしかによく目にした。
緑が多く、散歩が楽しくなる、落ち着いたおしゃれ感のある地域だった。

車でその付近をもう少し行くと、しゃれたブティックやレストラン、ベーカリーなども多く、タレント事務所もあるらしかった。
ちょうどその方向に、地図で見て探し当てたカトリック教会があり、20分ほどかかったが何度か歩いて見に行ったことがある。日本語や中国語のミサは行われないとのことで残念だったが、教会や寺院には心安まる力を感じ、訪れるのを好んだ。

毎週末、会社からリーに提供された車で家族4人最寄りのアメリカ系スーパーマーケット、Walmartへ買い出しに行った。
ソウル到着の2日目、さっそくそこへ行ったのだが、台湾はもちろんだが、日本より高い物価に度肝を抜かれた。食料品もそうだし、ランやメイがまだ大量消費する紙おむつも日本をしのぐ高価で、その後リーは台湾に出張で帰るたび、持てるだけの紙おむつを運んで来ることになる。
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2009年08月23日

韓流ブームたけなわながら「冬のソナタ」も知らない私。ソウル入り2日目で弱音吐く。

7月30日夜8時頃、ソウル市内の新居に到着。
空港へは会社が手配するタクシーがリーを乗せて迎えに来てくれていた。タクシーと言っても大型で、ピカリと光った黒塗り。かなり高級感がある。ソウル支社長ゆえの高待遇かと感じる。
義母は約1ヶ月滞在することになっていた。

私はもともと韓国行きに消極的だった。
当時は韓流ブーム最高潮であったが、私は未だに「冬のソナタ」を観たことがないし、ハングル語もかじりかけたがどうもとっつきにくくあきらめ、歌手などタレントや文化にも興味を抱けなかった。
ハングル語がダメなら英語で押すしかない、と開き直っていた。リーの秘書が台湾留学歴のある女性で、中国語が堪能というので、なんとかなるだろうと甘えてもいた。

それから歴史を鑑みても、韓国人は日本人に強い反感を持っているはずだし、それ同等にコワいのは冬の厳しい寒さだった。
寒がりな私は台湾の温暖な冬にすっかり慣れ親しんでおり、北海道並みに厳しいと聞く冬をどう乗り切ろうかと考えてはため息をついていたのだ。

そんな「先入観」のせいか、ソウル入り2日目、「日本に帰りたい。物価は高いし、言葉はわからないし、家の中でも慣れず、失敗が多い。」と日記に書き出している。幼い娘たちのために、いざと言う時の小児科、救急病院なども調べなくてはならなかった。
前途多難。
そして、日本同様に蒸し暑いソウルの夏。
不安なスタートとなった。
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2009年08月22日

多くの家財道具、すでに韓国へ。二胡レッスン再開。予防接種、医学エステも。

母娘3人が4月台北から日本の実家に帰った後、引越し業者が来て韓国へどっさりと家財道具を運んだゆえに、台北のマンションはすっかり様変わりしていた。ランが使っていた白いベビーベッドもすでに海を渡り、一日で国もベッドも変わって、彼女はくたくたのはずなのに11時頃まで眠れずにいた。
海外専門の引越し業者があるのをその時私は初めて知った。リーの会社が手配したその業者は、見積もりから荷造り、運送までテキパキとスマートにやってのけた。

7月25日、台北は最も暑さの厳しい季節に入っていた。
それでも、私は二胡のレッスンを受け、最寄りの保健所(衛生所)へメイのB型肝炎とポリオの予防接種にも行った。メイは生後6ヶ月、鏡に映った自分に反応するようになった。

30日の韓国行きまで日がいくらも無い。
27日は馴染みの皮膚科に予約を入れ、医学エステを受けに行く。
久しぶりの大坪林、いつものように李姐が笑顔で迎えてくれる。3ヶ月間の日本での出来事や、これから1〜2年は続くであろうソウルでのことを話した。
昼はその黄皮膚科に近い道恩素食坊で焼きギョーザを食べる。独身時代、週の半分ほどは通っていた、お気に入りの菜食レストランである。肉魚まったくナシとは思えぬボリュームあるおいしさで、メニューも豊富だ。
夕方は義母と2人、娘たちの髪を切りに出かけた。忙しく毎日が過ぎていく。

リーが不在のため、ランはほとんど義母宅で過ごしていた。あの頃から「痩せの大食い」だったランは、終日「餓!餓!「(お腹が空いた!)と連呼し、義母を困らせていた。
posted by マダム スン at 07:40| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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