2009年09月21日

ソウルで地下鉄初乗り。古賀さんと特別晩餐会で初体面。豪華な催しにびっくりする。

渦中の林さん母娘と翌日地下鉄で出かけることになった。
私とランにとってはソウルで初めての地下鉄体験である。
古賀さん主催で毎週行われているオンヌリ教会こひつじ会という親子向けの集まりが特別晩餐会を開くことになり、招待されたのだ。
土曜日午後3:30にCOEX内にある地下鉄の駅で待ち合わせ、良才駅近くのホールを借りた会場まで歩く。

立派なホール1階の会場は、子供たちの心奪う可愛い飾りつけや遊具が準備されていた。
そして、この時私は古賀さんと初体面する。
張りのある聡明そうな声の持ち主であったが、初老ながらとても品のある女優のような美しい女性なのに驚いた。ソウルに来てから本当に世話になりっ放しで、何度も礼を述べた。

アトラクションや豪華なご馳走、気前良くプレゼントもたくさん!
ランもミクちゃんもご満悦である。
帰りは林さんの例のご主人が車で迎えに来て、私たちの自宅そばまで送ってくれた。
初めて見るご主人、噂どおり流暢な日本語を話し、やさしい印象を受ける。
林さんより2歳年下の彼、ふだんは林さんに遠慮する面もあるそうだ。
可愛いミクちゃんもいるのだし、何とか仲良くやってほしいと思う。
晩餐会の盛況振りを私たちが彼に話すと、
「宗教団体はお金持ってるんですよ」
とのこと。
それはたしか台湾でも聞いたことがある言葉であった。


posted by マダム スン at 06:05| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月20日

ママ友、ひとりは日本経由アメリカ行き。もうひとりは夫、姑の言動に悩む。国際離婚の危機ここに。

ソウルに来て3ヶ月。
メイがつかまり立ちできるようになった。
ランは紙おむつナシ練習をさせるがなかなか成功せず。
リーは私の作った物に文句を言いつつ、昼も夜も家で食事、手も気も抜けない。
外は、緑、黄、オレンジのすばらしい紅葉、外出が楽しくなる、そんな時節を迎えていた。

待望の第2子を懐妊した坂下さんが韓国を離れるという。
まだ数回しか会っていないのに、早くもさよならかと思うと残念でならない。ご主人がツテあって、アメリカの会社に転職することになったのだ。
一旦家族で日本の坂下さんの実家に帰り出産し、その後渡米するらしい。パワフルな彼女のこと、夫婦仲も良さそうだし、どこへ行ってもうまく自分の愉快な世界を構築して楽しんでしまうだろうと想像できる。
思いも寄らず、こんなに早く、ひとりの友人を見送ることになってしまった。

しばらく連絡がなかった林さん。
彼女は坂下さんと異なり、かなりご主人や姑のことで悩みが多かった。ミクちゃんが時々熱を出したり、林さん自身が疲れて体調を崩すこともしばしばあり、心配していた。

11月4日、久しぶりに林さん母娘来宅。
予定より遅くなったのは、ミクちゃんが道路に落ちている落ち葉を踏んだり、手にとって遊んだりするためらしかった。
林さんはソウルの大学時代、ご主人と出会い、彼女から恋に落ち、結婚した。大学院進学をあきらめて結婚したくらいだから、当時の林さんがいかにご主人に惚れ込んだかがわかる。
ところが、だ。
暮らしてみると、林さんが好まない生活習慣や態度が目に付くようになる。
家では日本語、というほど、ご主人は日本語が上手だ。ご主人の家族も日本語ができるので、林さんは日本語で話し、家族はハングル語で答えるという図式である。
その点は恵まれているが、ご主人の金遣いが荒く、会社の接待に便乗して連夜帰りは遅い、そして、彼の母親は突然家に遊びに来るわ、息子と孫娘は可愛いけど、アンタはオマケみたいな態度をとるとう。
また一方で、「男の子だったらよかったのに」「次は男の子を産みなさい」攻撃が絶えない。韓国の家族とのつき合いに嫌気が差して仕方がないようなのだ。
離婚、という言葉まで林さんの口からこぼれるようになっていた。
国際離婚? どうなってしまうのだろう。 
posted by マダム スン at 05:11| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月19日

深まるソウルの秋。湯船が欠かせない夜。ラン、満2歳のバースデーにはキティ枕。

本当に広かったソウルのマンションには、メインベッドルームの奥に6畳ほどの洗面所とシャワールームがあったが、玄関横の小さめのバスルームにはバスタブ有りの洗面所が設えられていた。
さすがにソウルの秋は早く深まった。
10月下旬に入った頃から、私はランとその小さい方のバスルームを一緒に使うようになった。冷えて、夜は湯船で温まりたくなってきたのだ。香りのいいバスオイルなどを入れ、お風呂グッズでしばらく遊ぶのをランは毎晩喜んだ。

10月末のランの誕生日はちょうど日曜日と重なった。満2歳になる。
私もリーもケーキは苦手だが、ランのために「おとなしそうなケーキ」を購入することにした。
そして、ランが欲しがったプレゼントは、なんと枕!
そこで、4人そろってCOEXへ出かける。

週末のCOEXはさすがに平日と全然様子がちがう。
なかなか前に進めないほど混み合うこともある。子供服売り場が少ないCOEXだが、サンリオショップがあり、そこでキティちゃんの座布団を見つけ、それに決まる。
なぜ座布団なのか。
枕もあったが、いくら子供用でもまだランには大き過ぎた。キティ座布団は大人のお尻がはみ出そうなくらいのサイズで、椅子に掛けられるよう紐がついており、持ちやすいよ、と言うとランはペコリと頷き同意した。

午後、美人店長のいる、例のベーカリー、パリス バゲットで、好みのま〜るく「おとなしいケーキ」とシャンパンと三角帽子をゲット。
写真あり、ビデオ撮影ありのにぎやかな夕べとなる。

街路樹は急速に紅葉していた。
11月1日、日課の早朝散歩で初めて手袋着用を試みると、温かくとても気持ちよく、歩きを楽しめた。
posted by マダム スン at 05:24| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月18日

リーの反対に遭い、二胡の先生ではなく、紹介者の藤吉さんとの交流始まる。流暢なハングル語、彼女はソウルのいちOL。

実は、韓国での二胡レッスンに関してはひと悶着あった。
私の「二胡の先生求む」のHP書き込みを見て、その藤吉さんは返信してくれたが、リーが「待った!」をかけたのだ。
藤吉さんは20代後半、長野出身のボーイッシュな女性で、ハングル語を長く勉強し、ソウルで仕事をしていた。
藤吉さんがソウルで大学在学中からの友人に二胡がとても上手な人がいるとのこと、その友人は中国出身で幼い頃から二胡を学び、父親が経営する会社が韓国の会社と深いつながりを持っているためソウルに来た。彼女本人は音大で専門的に二胡を学ぶ意志もあったそうだが、父親の事業を将来サポートするために別の学部を選んだという。

「彼女がいつか大学でイベントが行われた時、彼女の二胡を知る人に勧められ、みんなの前で演奏したんです。それはもう上手で、ふだん大人しい彼女にそんな才能があったのかという驚きもあって、衝撃を受けました。頼まれてソウルでも教えていて、今は忙しくすぐには無理そうですが、スンさんのことを話したら前向きな返事をくれました。」
と藤吉さんは眼鏡が似合う、少年のような面持ちで答えた。

ところが、リーが反対した。
こんなご時世、物騒な事件も多く、極力、他人を自宅に入れたくないと言う。坂下さんや林さんたちの来訪には何も言わなかったので意外であったが、二胡レッスンのその件になると不機嫌になるため、衝突を避けるため、私はあきらめるしかなかった。
だが、電話で話す藤吉さんに好感を持ち、気が合いそうで、おかしな縁で彼女との親交が始まったわけである。
藤吉さんはソウルで会った日本人の中で最も流暢なハングル語を話した。彼女が来た時には、気のいい管理人のテイさんにふだん言いたいことをいろいろ通訳してもらえて嬉しかった。
posted by マダム スン at 05:24| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月17日

寒い韓国では私もインフルエンザ予防接種。二胡先生探しに進展あり、藤吉さん来宅。

「台湾と日本の片隅で」のブログなのに、すっかり韓国一色という感じだが、とにかくマダム スンは夫リーの転勤に伴い、ソウルで暮らし、3ヶ月になろうとしている場面に来ている。

9月下旬から家族全員一巡した風邪騒動がようやくおさまったので、10月17日、秘書キミー同伴でインフルエンザの予防接種を受けに行く。
保健所に問い合わせると、ワクチン不足で老人以外は民間の医療機関で接種するよう言われ、この前メイが診てもらった個人医院へ行くことになった。
ランは毎年台湾でも流感の予防接種を受けたが、韓国は寒く、インフルエンザも流行しやすいだろうということで、母娘3人とも接種するつもりでいた。聞くと、キミーもだいたい毎年受けるようだった。
ところが、ランは問題なく打ってもらえたが、メイは検温すると37.5度もあり、延期となる。私もメイが回復してから同日受けることにする。
ちょうど1週間後、無事メイと私の予防接種完了。ホッとする。ワクチンには15000ウォンと20000ウォンの2種類があり、私は安い方、娘たちには効果が高いという20000ウォンのを打ってもらった。

さて、かなり前にソウル日本人会のHPの書き込みのことを書いたが、二胡の先生探しに進展があった。知人に二胡が上手な中国人女性がいる、と藤吉さんという女性のメッセージが入ったのだ。
10月下旬に入ったばかりの頃、林さんミクちゃん親子が遊びに来てくれた2日後、その藤吉さんという人も初来宅のはこびとなる。
posted by マダム スン at 05:21| Comment(1) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月16日

美しき漢江の流れ。江南は新開発地域。初めて江北を訪れる。

ソウルを東から西に流れる漢江。
これを境に東側を江北、西側を江南と呼び、私はこの江南の方で暮らしていた。
リーが東京から帰った翌日、台商協会の中で最も親しくしていた張さんが私たち一家を昼食に誘ってくれた。自宅近くの大通りまでマイカーで迎えに来てくれて、にぎやかに出発。
張さんはもう長く韓国に住んでおり、ソウルにもとても詳しい。
リーよりかなり年配で、一見無愛想だが、こうした厚意ある人物で意外に子供好きであることがだんだんわかってきた。

この日、私と娘たちには韓国に越して来て以来、初めて江北地区に足を踏み入れた。
江南地域はわずか数十年前に開発が始まったばかりで、日本でいう高層マンションに相当するアパートブームを巻き起こし、誰もが憧れる街づくりを目指し発展してきた。高級レストランや有名ブティックが多く、洗練された雰囲気をかもし出している。
一方、江北地域は歴史的文化財が豊富で、明洞、東大門市場、南大門市場など、おなじみの繁華街があるのもここである。

初めて越える漢江は美しい。ランもうれしそうだ。
張さんは車を駐車場に停め、目当てのレストランまで歩く。たくさん様々な店が並び、しばらくショッピングに耽りたい気分だったが、張さんを待たせるわけにもいかない。聞いていたように、たしかに江北の方が物価が安いことをはっきり実感する。
「また、家族だけで来たらいいよ」
と、リーが言う。そうできればいいけど。

木造りの立派なレストランで張さんおススメの品々をおいしくいただく。11:00すぎに着いたが、そのうち広い店内は満席に。人気店のようだった。
ソウルの別の一面を垣間見る、貴重な一日になる。
ソウル支社を遠くない将来にたたむかもしれないとの社長の弁を、数日前リーから聞いた。
いやだ。ソウルを離れたくない。
私は心からそう思うようになっていた。



posted by マダム スン at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月15日

10月中旬、空気は乾燥、肌寒くなる。奉恩寺へ散歩。東京出張のみやげに沸く。心訳、般若心経ベストセラー「生きて死ぬ智慧」を手にする。

10月中旬。晴れても気温はあまり上がらず、手のひらが乾燥するようになる。
リーは東京へ発った。娘たちはパパがいないなりに、いい子にしていてくれる。とても気持ちよく晴れた午後、久しぶりに母娘3人で散歩に出かける。ランは自分で歩き、メイはベビーカーに載せる。

自宅からCOEXモールの新しく大きい建物を右手に見ながら、奉恩寺へ歩く。その道ではたびたび日本人観光客に出くわした。だいたいが家族連れで、日本語を聞かなくても身なりや行動で日本人とわかるものだった。
奉恩寺は立派な造りで、庭も広く、多くの信者を抱えていることが見て取れた。宿泊や研修もできるようだった。
私たちは初めてゆっくり、その広い敷地内を散歩してみた。売店があり、お寺のグッズや食品あり、玩具や子供服まで売るコーナーがありびっくりする。それも物価の高い韓国にしては割安で、一枚ランの長袖Tシャツを買う。

2泊3日の東京出張と私たちの留守番も無事終わり、頼んでおいた「日本みやげ」を喜々として開ける。
ランに「ベビーブック11月号」、高野豆腐、コンソメ、ビーフシチューのルーなど。コンソメがここでは手に入らないことを韓国日本人会のHPで知っていたのだ。
そして、NHKの番組で知った柳澤桂子著の「生きて死ぬ智慧」を手に取り、神妙な想いに浸る。
posted by マダム スン at 05:27| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月14日

CDデッキ落下に修正液撒き散らし事件。ママはクタクタ。ソウル生活軌道に乗る。リー、東京出張。

一家そろって風邪状態の10月上旬。
私は前の年から起きるようになった腰のだるさが再来してもいた。
我が家玄関を手直しするとマンション管理室から連絡が入り、朝から職人さんがやってきてにぎやかになる。5月に完成したマンションだがまだ手を入れたいとのことだった。
秘書のキミーも来て、職人さんとの会話を助けてくれる。

お客様が来て、ランはぴょんぴょん、メイは這い這いして興味津々、見に行く。
その日はすさまじかった。
午前中、二胡を弾いているとものすごい音が!
一番小さいベッドルームの卓上に置いていたCDデッキのコードにひっかかったらしいラン、デッキは床の上に落下、、、、、
かろうじて音は出るが、CDを収める部分は破損、よほど丁寧にうまく入れないと蓋が閉まらない。

その午後も強烈だった。
ちょっと目を離した隙に、ランが私の修正液を床に撒き散らしているのだ。
やめなさーいっ!!!
借りている新築の家、汚してはいけないと雑巾で貧血になるほど拭く。なかなかとれないが拭くしかない。ランの足の裏にも修正液。めまいがする。
夜にはふらふらになっていた。
でも、リーに疲れたと愚痴ることは許されない。ランかメイを台湾に返し、義母に預けるとまた言い出すのを怖れていた。

幼い子らとの生活はこんなものなのだろう。
そう観念するしかなかったし、元気でいてくれるだけで感謝、と思い直す。
坂下さんと林さんが、
「急だけど、今日午後遊びに行ってもいいですか?」
と電話してきてくれたりするようにもなり、ソウル生活は軌道に乗り始めてもいた。
その頃、リーが東京へ出張することになり、「時間があればお願いね」と、買って来てほしいものリストを作成する。
posted by マダム スン at 05:31| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月13日

風邪。通訳同伴、メイを小児科へ連れて行く。加湿器購入、冬支度。ソウルに愛着。

林さんとも意気投合し、メルアドも交換。
昔から、おおぜいと行動したり騒いだりするのが苦手な私は、気の合う二組の親子と知り合って、今後も付き合って行けることで十分満足感を実感していた。オンヌリ教会の古賀さんにも時々近況を伝え、そちらの行事には遠く、不便で参加できないが、娘たちも楽しそうで、感謝していると言うと、自分のことのように喜んでくれた。

10月に入った。ランが風邪をひいたが、意外と早く治りかけていると見えたのは、メイにうつしていたと判明。夜、メイがどうもぐずって泣くなあ、と思っていたら、昼間もすぐ泣き、鼻水を出し始めた。呼吸もふだんとちがう。
その日は我が家に山口さんが午後2時に遊びに来てくれたのだが、事情も事情、リーの秘書、キミーに電話して、小児科へ同行してもらうことにした。4:30のことだ。

自宅から地下鉄清潭駅に向かう途中にアパート群がある。
その隅にある2階建ての小さなビルにブテイックや美容院、医院がいささか窮屈そうに入っており、キミーはそこの2階にある小児科を紹介してくれた。娘たちはその後も何度かそこで世話になる事になる。
ランはリーに見てもらい、キミーと、ベビーカーを押す私は徒歩で向かった。10分ほどで着く。
外国人ながら、リーは然るべき手続きを済ませていたので、保険が利いたし、キミーの通訳で滞りなく診察、コミュニケーションは進んだ。
診察後は1階にある薬局で薬をもらうシステムになっていた。

ランの風邪もすっきりせず、リーにまでうつってしまった。
数日後にはとうとう私まで、、、、 ひどくはならず、週末にはWalMartへ買い出しに行き、5600ウォンの加湿器を買い、冬の乾燥対策を進めた。
そして、その日の日記に「ソウルが好きだ」と記している。
韓国に来て2ヶ月、もともと順応性は高い方だと自負していたが、もうそんなところまで私はソウルの生活に馴染み始めていた。
posted by マダム スン at 05:08| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月12日

ソウルの残暑に喜ぶ。坂下さん、林さん母娘を連れ来宅。そして、うれしい報告。

9月も下旬、私はかねてから韓国の冬を非常に怖れていたため、日本の多くの9月同様残暑があり、半袖を片付けてしまえない天気を喜んだ。
ランにひと部屋与え、ネットで購入した幼児用ベッドでひとり寝る習慣をつけようと特にリーが頑張ったが、泣いたり、パパかママが一緒に寝てくれるのをずーっと待ち続けたりと苦戦続き。1歳11ヶ月、やはりまだ無理なのだろうか。

さて、そんな9月の最終水曜日だった。坂下さんがオンヌリ教会の子連れ定例イベント後、友人とその娘を連れて遊びに来てくれた。
坂下さんより少し年長の林さんと、ランと同い年のミクちゃんだ。
林さんはソウルの大学に留学、そのまま知り合った韓国人男性と結婚し、ミクちゃんを出産した。本当はソウルで大学院まで行きたかったらしいが、結婚のため一旦断念したと言う。
坂下さんとは対照的で、身長は私より少し高いくらいで、とても華奢な色白サンである。
だが、ミクちゃんは丸いオデコが印象的な丸顔、林さんにはまったく似ていない。
「めちゃくちゃ夫似なんです。」
と苦笑いする。
坂下さんは、一回会っただけだが私の個性や趣味などを考慮した上で林さんと話が会うのではないかと思い、彼女を誘ってくれたらしい。
うちが女の子2人なので、子供たちも同性の方がいいかと。

話は弾み、子供たちは時々おもちゃを争いつつも打ち解けにぎやかだ。
そして、なんと、坂下さんが第2子を授かったと報告!
待望の2人目で、とてもうれしそう。
祝いの声が飛び交った。
posted by マダム スン at 05:43| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月11日

台商協会主催、栄州市日帰り旅行に参加。のどかなりんご園にも寄る。貴重な韓国の旅。

ソウルには台商協会という台湾人会のようなものがあった。
台湾から韓国へビジネスで短期、長期滞在している人たちが立ち上げた機関で、リーは時折自宅でその名を挙げたり、それの誰それと会うとか食事をするということがあった。

その台商協会が9月24日土曜日、栄州市(ヨンジュ市と読むらしい)に日帰り旅行を企画、協会員の家族もふるって参加してほしいと声がかかり、0歳と1歳の子連れ遠出は大変億劫ではあったが、これも付き合い、言葉の問題もないからと応じることにした。
栄州市は電車だとソウルから4時間くらいかかるらしい。
私たちは大型バスをチャーターして行ったが、そんなに遠かった記憶は残っていない。
ただ、粉ミルク、2人の着替え、紙おむつやおやつ、メイのベビーカーも必要で、大荷物の管理だけでも骨が折れた。

参加者には小学生や中学生などもいて、なかなかにぎやかだった。
もう長く韓国で暮らしている子たちはハングル語にも苦労しないようだった。年長の男の子に、
「いつか台湾に帰りたい?」
と質問すると、
「台湾は徴兵制度があるから、帰りたくない」
と答えた。
たしか韓国にも徴兵制度はあるはずだが、外国籍の者は免れるようだった。

さて、栄州市への旅で最も思い出深いのはりんご園である。
日本の田舎を彷彿とさせるのどかな村に大きなりんご園があり、入場者は自分でもぎ、食べたり、持ち帰ることができる。
私は疲れ気味で、バスの中でメイの守りをしていたが、リーはランを連れ、りんごを頬張っていた。

バスはソウル目指しひた走った。
自宅に帰り着いたのは夜8時半、娘たちは疲れてすぐスヤスヤ、、
朝は7時20分出発、たしかに疲れたが、貴重な体験ができた楽しい1日だった。


posted by マダム スン at 05:39| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月10日

COEXは広い!大型書店には日本書がいっぱい。ヨンさまグッズも。ソウル、秋の風。

台湾から戻った翌々日は水曜日だったが、リーが早めに退社できたので、めずらしく平日の夜にWal Martに買い出しに行けた。これでようやくガソリンが入った感じ。
それから、その頃には広いCOEXがどうなっているかだいたい把握できるようになっていた。大きな水族館は有名で、幼稚園や小学生を先生が引率して来て、入口にずらーっと並んでいる情景は頻繁に見られた。瀟洒なシティホテル、COEXインターコンチネンタルがちょうど我が家側に隣接しており、外国人観光客の姿も多い。
コンビニ、飲食店、電気屋、雑貨、文具、ネイルアートを施す店、薬局、ブティック、書店などなどいっぱいだ。我が家からは遠い向こう側になったが、地下鉄の駅があり、現代百貨店もその一画にあるわけである。ゆっくり見て周っていたら、半日くらいは十分退屈なしではないだろうか。
当時は日本が韓流ブーム最高潮期に重なっており、韓国のお土産を売る店には必ずヨンさまグッズなるものなどがたくさん見受けられた。

そのCOEXの大きな書店では発見があった。
日本語の書籍が思いのほか豊富にそろっている。月刊誌から幼児書、文庫本に単行本、それも物によったり、日本書フェアみたいな催しがあって、日本国内と変わらない値段で手に入ることを知ったのだ。
これはありがたかった。その売り場コーナーへ行くだけでホッとすることもあった。絵本を眺めるのが好きなランに世界の名作童話を買ってやることが多く、今も使っている公文のひらがな、カタカナカードはここで購入したものだ。

Wal Mart買い出しの翌日、娘たちの衣類の大整理をする。9月22日、ソウルでは確実に秋の訪れを感じるようになっていた。
posted by マダム スン at 05:28| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月09日

家族そろって初の台湾一時帰国、義母宅に居候。韓国にもたくさんの冷凍ギョーザあり。

坂下さんが初めてエマちゃんを連れて我が家に遊びに来てくれた翌日から9月19日まで、一家4人そろって台湾に一時帰国する。
リーは本社での定例会議出席の務めもあるので、毎月ソウルー台北間の航空券が提供されたが、私たち家族は会社からのそれが半年に一度しか得られなかった。
それでも、7月30日にソウル入りしてから2ヶ月足らずで台湾に戻ることになったのは、リーとの共通の同僚の披露宴に招待されていたことと、9月18日が中秋節だったからである。
リー個人の台湾出張時と同じタクシー会社から、定刻に黒く光った大型ワゴン型タクシーが迎えに来てくれたが、早朝出発は大変だった。

4泊5日の台北一時帰国は、リーだけ自宅で寝泊りし、私と娘たちは義母宅に居候した。義母宅には8畳くらいの畳の部屋があり、母娘3人が雑魚寝するには持って来いでもあった。多くの家財道具が韓国へ行っているため、とても不便な我が家だったのだ。ケーブルテレビも契約を切っていた。
さすがに台北は9月と言っても太陽が夏の勢いを持ち、とても暑く、ソウルを恋しく感じる気持ちさえ湧くことに我ながら驚いた。住めば都? 

搭乗前、懸念した重量オーバーもなく、どっさり台湾の物を持ち帰る。新たに購入した品もあるが、あったら便利な、使い慣れた天ぷら鍋や秤なども一緒でうれしい。
しかし、冷蔵庫はスカスカ。ソウルに帰った翌日は、カレーライスや冷凍ギョーザでしのぐ。
台湾同様、韓国にも多種多様な冷凍ギョーザがあった。中でも私の一押しは、円形に包まれたキムチたっぷりギョーザ! 娘たちには辛くて無理なので、いつも普通のとこのキムチ入りのをストックするようになっていた。
あー、なつかしい、あのボリューム、あの辛さとからむ美味、、、、
posted by マダム スン at 05:01| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月08日

お昼にキムチはダメ?! 夫婦それぞれのストレスに病む。般若心経に触れ、無我、不動を目指して、、、、、

先週書いたと思うが、会社でストレスを受けるリーはそれを家で発散するしかなかったのだろう。
前任者が荒らした会社の規律や使い込んだ金額は小さくなく、オンラインゲームそのものの運営、サービス、開発はもちろん必須で、リストラも本社からの命令のままに実行せねばばならなかった。社員たちに何を話すも、秘書の通訳を必要とし、もどかしい思いをすること多々あったと察することができる。
そんな重圧が、まじめで責任感の強いリーを追い詰め、本来の気性の荒さを助長していた。

私の作った食事への文句は絶えず、数日外食を続けたこともある。
その9月のある日、お昼に現代百貨店の例のキムチを使ったキムチ炒飯を作り、リーはおとなしく食べたが、日課であった短い午睡の後、
「昼にキムチを食べさせるな。胃が熱くて眠れないよ!」と怒鳴られた。
キムチを食べた後、胃がそのようになるとは彼から聞いたことがなかったが、とにかく、いつも虫の居どころが悪かった当時は万事がそんな感じだった。
娘を一人、台北に送り返そうとの提案も何度も出され、私を脅かした。実際、リーの弟一家がアメリカで暮らしている時、第2子を生後2ヶ月ほどで台湾へ送り、義母に預けた事例があるため、そういう発言は現実味を帯びていて、恐ろしかった。

ランの友達探し、相変わらず弾く二胡、目の離せない幼い娘たちの世話、キリがない家事、そして、母でも妻でもなく「私」そのものの充実、成長、実現を韓国に在っても強く望み続けていたため、リーとは別種の、だがリーに劣らないほどのストレスに私も苦しめられていた。
思えば、柳澤桂子氏の訳した般若心経に出会ったことがきっかけで、その後数年間、私は仏教関係の書物を多く紐解き、その訓えに安らぎを求めた。ある特定の宗教だけに深く関わることへの抵抗は依然あったが、自分は「普遍の真理」というものを探しているとの覚醒と自負はあった。
当時、私にとっての安らぎとは、無我、不動の「悟り、解脱した自分」を達成することであった。
posted by マダム スン at 05:11| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月07日

NHK生活ほっとモーニングに見入る朝。「生きて死ぬ智慧」の著者、柳澤桂子氏を知る。

台北同様、ソウルでもテレビでNHKの放送を見ることができた。
私は年々、ほとんどNHKかその教育テレビしか見ない傾向が強まっていたため、とてもありがたく、それで事足りてもいた。
だが、知人友人がほぼ皆無に近い韓国でも、毎日は慌しく、忙しく、また娘たちの視力保全のためにもゆっくりテレビの前に座ることはなかった。

それは、唯一私が見るテレビ番組と言えた朝の連続テレビ小説放送の直後だった。8時半からも「生活ほっとモーニング」をしばらくつけたままにしていると、柳澤桂子氏と、彼女の近著「生きて死ぬ智慧」を詳しく取り上げており、私は家事を一時休止し、聞き入ってしまった。

柳澤桂子氏は、御茶ノ水女子大から婚約者の待つコロンビア大学へ渡り、博士号を取得。当時とても期待された科学者であった。
ところが、30数年前、突然原因不明の病気に倒れ、研究の道は絶たれ
失意の淵に追いやられる。
サブタイトル「心訳 般若心経」、「生きて死ぬ智慧」も紹介され、私は可能な限り、一句一句走り書きで残した。日記には、
「苦の中で、苦のままに幸せに生きることができる」
という一節を記し、その境地に私も辿り着きたいと書いている。

これにも再三書いたように、私はカトリック高校を卒業し、つかず離れずカトリックの訓えのそばにいた者であったが、30半ばを過ぎたあの頃からはそれ以外にも救いを求めていたように思う。
よって、そのNHKの放送は実にタイムリーであり、私はまさにその日から般若心経、ひいては仏教にも心を寄せ始めることになった。
可愛い2人の娘、恵まれた生活環境、山積する日課のなかにあっても、
心の乾きはごまかせないところまで来ていた。

posted by マダム スン at 05:23| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月06日

韓国のしきたり?「嫁」の務めとは。 ソウルの我が家はやはり豪邸?!

坂下さんは30そこそこ、もともと韓国やハングル語に興味があったのではないが、縁あって韓国人のご主人と結ばれ、ソウルで暮らしていた。
韓国の姑サンはコワいと聞く。
いや、それがあたりまえ、そういう習慣があるのだろうが、たとえば同居していないなら週に数回は電話をかけ、
「お義母さん、お元気ですか?」
などと挨拶したり、様子を伺ったりしなければならず、それが毎日でもok,しない嫁はデキテナイ嫁とされてしまう。
私はそう多くの韓国在住妻と知り合いだったわけではなく、実際どういう程度のものか確定できないが、、、 姑と気が合えば苦痛ではなく、当然の習慣として定着するだろうし、そうでなければ、たかが電話一本でも気が重い務めと感じるだろうから。

ところが、坂下さんは、異国で暮らす不自由さや、夫の家族との確執、言葉の苦労などをまったく感じないかのような大らかさとたくましさがあった。ランがエマちゃんを気に入り、きゃっきゃっと遊び回るように、私も年下の坂本さんを頼りに思い、大好きになった。

自宅から徒歩5分のCOEXに時々遊びに来るとはいえ、わざわざうちまで来てくれたことに何度も感謝の意を示した。
エマちゃんは紙おむつ持参、ランも何度教えてもまだおマルでせず、紙おむつは必需品。そして、もうすぐ這い這いできるかな、というメイ、、、坂下さんは、平気、平気、また来るからね、と豪快に笑ってくれた。
そして、
「エマもこ〜んな広いおうちで遊べて楽しそう。」
と言った。坂下さんが言うには、やはり我が家は一般の韓国家庭ではほとんど見ることがない広さらしい。「宝くじに当たった気分で住んでいる」私の感覚はまちがっていなかったのだ。
自分で家賃を払っているわけでなく、私は坂下さんの感嘆に「へえ〜そうなんですかあ」と人ごとのように相槌を打った。
posted by マダム スン at 05:47| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月05日

江北地区まで2人子連れ電車旅は無理。でも、古賀さんより吉報、坂下さん親子来宅。

9月8日の夕方だった。
オンヌリ教会の古賀さんから電話が入る。
いろいろと活動や行事を紹介してもらったが、子連れで参加できるイベントが平日でなかなか行けそうにないと伝えていたら、毎週水曜日に開かれている親子の集まりで私たちのことを話してくれたということだった。
そしたら、ランと同じくらいの娘と毎週参加している坂下さんという女性が我が家の近所にあるCOEXに時々来ており、いつかうちへ遊びに行ってもいいと言っているというのだ。

本当にうれしい瞬間であった。やーっと前に進みそう、何とかなりそうだと確信できた。
オンヌリ教会は私たちが住んでいた江南ではなく、川を渡った江北地区にあり、平日リーが出勤して不在の時は電車かバスで行かねばならなかった。
電車、バスには乗ったことがない。ハングル語もわからない。それにランだけならまだしも、メイをベビーカーに載せて行かねばならない。
調べてみると、地下鉄駅構内はエレベーターが完備されておらず、1歳10ヶ月のランの手を牽き、ベビーカーを押したり、持ち上げたりしながら、短くない距離を移動することになる。想像しただけでゾッとした。

古賀さんの呼びかけに応えてくれた坂下さん。
電話番号も教わり、かけてみる。
そして、9月13日午後。
ソウルに来て1ヶ月半、ようやく、初めて、念願叶い、母子ともにつき合える友達が我が家を訪問。
坂下さんは170cmはある長身、カラッと晴れた青空のような女性。
娘のエマちゃんも標準より大きい。
同い年のエマちゃんとランはすぐに意気投合、2人が駆け回るリビングに歓声が響いた。
posted by マダム スン at 05:25| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月04日

メイ、今にも這い這い。オンヌリ教会、古賀さんとの出会い。子連れイベントなど紹介される。

メイは今にも這い這いしそうな様子、ランはそんな小さな妹に結構世話を焼き、語彙がもともと少ないものの私には日本語、リーには中国語を使い分けるようになっていた。あれには感心したものである。

期待した三井さんとの交友は途切れていたが、彼女がちょこっと口にした「オンヌリ教会」が道を開いてくれた。ソウルの日本人が比較的多く住む地域にある教会があり、そこに韓国に嫁いで長い日本人女性がいて、毎週子連れOKのイベントが催されているというのだ。
電話番号がわかったので、どきどきしつつかけてみる。

その初老らしき女性は古賀さんと言った。
事情を話すと、熱心に聞いてくれて、細かく彼女たちの活動を説明し、「ぜひご参加ください」と明るい声で何度も促された。
古賀さんの教会では、毎週水曜日に小さな子供たちのいる家庭が寄れる会と、土曜日には大人の会が開かれているとのことだった。それは日本人と韓国人の夫婦でも、日本人夫婦でもよかった。もちろん、古賀さんはうちのように台湾と日本でもどうぞ!と言ってくれた。
「いろいろあるからわかりにくいでしょ。またFAXしますね」ということで、電話は終わった。

2日後、FAXが届く。
ランの友達探し、大きな進展を見せる。感涙!
古賀さんが韓国で結婚した当時は、日本人はとても少なく、何かとご苦労が多かったようだ。
そんな経験があるからだろう、私たちの状況、心境を察し、とても温かく接してくれた。
古賀さんの言葉、FAXを反芻し、じっくり目を通しながら、差しかけられた光を今こそつかもうとするときめきに酔った。
posted by マダム スン at 05:42| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月03日

HP書き込みはぬか喜び?! ストレスからか、家庭内険悪ムード。ベッド到着、新たな救いの手。

ソウル日本人会のHPに、ハングル語ができない親子だが、なんとか子供と同年代のお子さんがいる家族と知り合ったり、一緒に時間を過ごせるイベントはないものかと相談を寄せていたら、ご主人の仕事でソウルに住んでいる三井さんという女性から書き込みがあった。
この時はまさに飛び上がらんばかりのヨロコビで、すぐ返信。
しかし、その後10日ほど経っても音沙汰がなく、失意の中9月を迎えた。韓国に来て1ヶ月。進展しないランの友達探しに焦りを覚える。

あの頃は他にも心痛むことがあった。
台湾とは勝手が違う職場でストレスがたまるのだろう、リーは私が作る食事にそれまで以上に不平や文句を言うようになり、だいたいそこから険悪な空気が家庭内を覆った。彼も私ほどではなくても、ひとりで遊ぶしかないランを不憫に思ったのかもしれないが、家事で行き届かぬ点を見つけ、私が忙しいのだと弁明すると、
「それなら子供ひとり、台湾に送り返しておふくろに面倒見てもらおうか」
とまで言い出した。
これには慌てたし、全身が震えるほど不安で、腹が立った。

負けるわけに行かない。自分にも、逆境にも。
そんな折、秘書キミーの助けを借り、インターネットで注文したラン用のベッドが届く。組み立て式、中学校くらいまで使えそうな立派なものだ。26000円ほどしたが、価値あるものに見える。

そして、9月に入ってまもなく、三井さんではなく、新たに手を差し伸べてくれる人が現れた。
posted by マダム スン at 05:32| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月02日

「ご近所さん」すら無し。ランの友達探しに奔走する。地震のない韓国ゆえ可能だったコトは、、、

山口さんに教わったソウル日本人会のHPにはいろいろ世話になった。
二胡教室探し同様、私が力を入れたのはランの友達探しであった。
1歳8ヶ月でソウルへやって来たラン。
台湾でも日本でも保育園や幼稚園へはまだ通っていなかったが、ソウルでは「ご近所さん」があるわけでなく、散歩や買物時によく似た年恰好の親子と顔見知りになることも言葉の壁があり無理だったため、ソウル在住の日本人家族と知り合う必要があった。残念ながら山口さんはまだ懐妊の兆しさえなかったので、娘たちの友達探しは0からスタートするしかなかった。

以前記したように、ソウルのマンションは幼い娘たちにとってちょっとした保育園並みの広さがあったが、社交的で人見知りしないわんぱくランに一人も遊び相手がいないのは不憫のみならず、彼女の情緒的成長にもよくないと思われた。
「ママ、一生懸命ランのお友達探すからね」
と自分自身をも励まし、吉報を待った。

8月20日を過ぎると、時折涼風が吹くようになった。
日本でも早い年はその頃から秋を感じることもある。湿度やその涼しさなどが日本のその時期と酷似していた。その後、また残暑がぶり返すところまでそっくりだった。
その頃生まれた新たな習慣は、午後、生後7ヶ月のメイが午睡中、もしランが起きていれば、2人で出かける散歩である。
赤ちゃんを一人残して無謀な!と思うこと勿れ。
マンション11階に住んでいた台北では絶対できないことだが、ソウルでは可能だった。
それはまず、台湾とちがい、韓国では地震がないこと。これが大きかった。台北ではちょっとしたゴミ捨てに行くにも、地震が怖くてできなかった。万が一の時、助けてやれないと思ったからだ。
そして、マンションはちょっと高台に建っていたので、半径100〜200mくらいにいれば様子が見て取れ、また我が家が見える範囲を出ることはなかった。広くはないが庭があり、小さな噴水や植木、花、ベンチもあり、そこでランを遊ばせることも多かった。
posted by マダム スン at 05:19| Comment(0) | TrackBack(0) | リー新任地、ソウルへ移住 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。