床も白いタイル地のものから、リーが提案したフローリングに変わり、家全体の雰囲気もやわらかくなった。板の色は家具に合わせてこげ茶である。
一週間、昼間ランを預けた義母も完成後、新調した床を見に来た。義母宅とは徒歩10分くらいの距離なので、時々歩いての往来があった。
私たちのマンションは、リーの両親が彼に買い与えたものだった。とりわけ長男を重んじる台湾ではよくあることで、リーの弟にはない待遇でもあった。両親がある程度負担してくれて、あとはリーが毎月ローンを払っていた。
しかし、リーの弟が子供達が大きくなったため独立して家を購入する際には、リーとその独身の姉もかなり援助していた。家族の結束は固い。
義弟は建築士で建設会社勤務、義姉は流暢な英語を駆使して広告代理店でバリバリ働く高給キャリアウーマンだった。彼女は、義父が大陸から台湾に移り住んで最初に購入したアパートで一人暮らしていたが、私とリーが結婚してしばらくすると、上海に越して行った。
リーから義姉の月給を聞くたび羨んだものだが、
「そうでもないよ。姉はもしかしたら一生独身かもしれないから、老後の貯えや精神的な安心も必要でしょう。」
とそのたび彼は言った。
義弟一家の引越しは、義父の闘病中に行われた。義父はずっと入退院を繰り返していたし、義弟たちの新居も徒歩圏内だったので、義父にとってはそれほど寂しいものではなかったとは思う。そう願う。
床が修理された頃には義父はまた入院していたが、リーは季節もよくなったし、ランも連れてマイカーでハネムーンに行こう計画を立て始めた。