2008年11月16日

再び台湾へ

胃潰瘍や重症の自律神経失調症を患いながら打開策を探り続けた結婚生活は、その甲斐もなく、とうとう4周年を待たずして幕を閉じた。
ひとりに戻った私は、再び台湾へ飛んだ。台湾でまた中国語を学ぶ、これを果たさずには、何も前に進まないと思った。
最初の留学から7年の月日が流れていた。私は母校に舞い戻り、中国現代小説や新聞購読などのクラスを専攻した。言葉の面では不自由することは減り、馴染んだ台北では暮らしやすく、大気汚染や水道水の汚れは改善し、停電もなくなっていたが、「留学生」に徹していればよかった前回の留学とは心持ちが大きく異なった。ひとりで食べて行かなくては、真に自立せねば、との思いが強く芽生えていた。
しかし、とても幸運なことに、元大家さんだった夫婦が東京に移り住んでおり、ご主人の方が自分が勤める会社の台北本社に就職面接のセッティングをしてくれたのだった。
その会社の業種から言うと、私は明らかにキャリア不足だったが、どういうわけか採用され、渡台後約一ヶ月で、私は留学生兼OLとなり、収入を得られるようになった。そして、ありがたいことに、その給料で学費、家賃、生活費すべてをまかなうことができ、日本にある貯金をまったく遣わず暮らせるようになった。
こうして、午前中は学校で中国語を勉強し、正午過ぎ会社に到着し、6〜7時頃まで仕事をする生活が始まった。
posted by マダム スン at 10:17| Comment(0) | 再び台湾へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月11日

帰国後早速職探しと一本の電話

帰国後、私はハローワークや新聞の折り込みなどで職探しをし、お酒のスーパーの店員と、学習塾の英語講師に採用された。中国語に関係した仕事がしたかったが、田舎ではなかなか叶う願いではなく、とにかくその次にでも興味あることから始めるしかなかった。
お酒には弱い。たぶん、味りんで酔う父の血を引いたのだろう、彼ほど重症ではないが、少量で十分効果が出る。
だが、お酒が好きだった。少し嗜むだけでよかったし、お酒の世界が好きだった。日本酒、ワイン、ウイスキー、焼酎、カクテル、、、、
それぞれに歴史、産地の特色、作られた謂れがあり、そういう背景や文化との関連を知ることがおもしろかった。
店員と講師とのバランスもとれ、多忙な毎日を謳歌できるくらいになっていた秋のことだった。地元で唯一ともいえる、中国語が上手な私よりいくつか年上の女性に時々中国語を習いに行っていたのだが、その先生から電話があった。
「、、、、、あそこに工場があるでしょう? そこに中国から20人くらい研修生を受け入れるらしくて、私、通訳を頼まれたんだけど、うち、商売やってるでしょ、行けないのよ。あなた、やってみない?」
台湾から帰って、5ヶ月ほど過ぎた11月のことだった。
posted by マダム スン at 05:37| Comment(0) | 再び台湾へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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