2008年11月13日

泣き笑いの通訳修行

社長には、3時まで出勤してくれたらよいと言われていたが、20人もがあちこちの部署に分かれて作業するため、3時に帰ろうと思っても、「ちょっとこっち来てくれ!」と呼ばれたり、放送で所在を探されたりてんてこ舞いだった。そして、だんだん正社員たちと同じ5時半まで働くことが定着した。自然な成り行きだった。
毎日ハードだった。予想はできたが、私の中国語力を超えた仕事だったため、うまく通じず、日本人上司にイライラされたり、大丈夫なのかと咎められたし、中国人研修生からも、いつ不満をぶつけられるかびくびくしなければならなかった。
しかし、辞めるわけにも、負けるわけにもいかなかった。帰宅後、晩くまでその日の復習と予習をした。専門用語が多く、時には研修生に書いてもらい、それを暗記した。工場は広かったが、数冊の辞書や、自分で作成した虎の巻、筆記用具等々を抱え、走り回った。
朝礼や会議、社長が現場を見回り、直接研修生を指導する際の通訳は緊張とプレッシャー、そして自分の未熟さに涙も出んばかりだったが、私は踏ん張り続けた。社長も私の努力を認め、がんばれと、温かく見守ってくれた。
posted by マダム スン at 09:54| Comment(0) | ひよっこ通訳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月12日

チャンス!

その一本の電話は、私の日常を根こそぎ揺らした。何をどこから整理し、収拾し、結論付ければよいのか、頭の中は真っ白なのか、ごちゃごちゃなのかもわからないほどだった。
英語講師の仕事はどうしよう。お酒屋さんは?だいいち、私に中国語通訳なんて務まるのか、、、、、 留学で基礎力はついたが、報酬を得られる力があるとは思えなかった。
できるだけ早く返事がほしいということだったのが、かえってよかったのかもしれない。迷った。大いに迷ったが、では、どれくらいになれば、中国語を仕事として用いてもよいと思えるのだろう、と思うと、今でもいい、このチャンスはつかまねばならないと考えられるようになった。
先生にお礼を述べ、その工場の社長のもとへ面接に行った。この辺りに中国語を話せる人はいない、よろしく頼む、とすんなり採用され、後に引けなくなった。本当に思いも寄らぬ速さで中国語を使う仕事に就けることになった。
お酒のスーパーは繁盛しており、土日だけの出勤でも続けたいという私の希望を呑んでくれた。英語講師の方は、恨まれながらも辞めさせてもらった。中国語を優先したい気持ちは抑えられなかった。
posted by マダム スン at 09:25| Comment(0) | ひよっこ通訳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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