2009年01月02日

香港、真夜中の救急外来

会社がリーのために借りた家は駅構内にあるような便利さで、清潔で、とても広い家だった。リーはそこから毎日例の゛2階建てバスに乗って通勤した。朝9時頃家を出て、帰宅するのは8時台だったので、私ひとりの時間は長かった。
ひとりでいるのは平気だった。いくらでもしたいことはあった。
ただ、咳き込んで眠れないほどになり、日本から帰って数日後の夜遅くなってから、これはまずい、肺炎になっているのではないかということになり、タクシーを呼んで最寄りの市民病院の救急外来へ急いだ。その夜を越すことが危うく感じられたのだ。

もう日付が変わる頃だった。
なのに、着いてみると救急外来の受付や待合室は明々と灯りがついていて、座りきれないほどの人でごった返していた。
リーが中国語と、時に英語を混ぜながら受付の男性職員に事情を説明する。香港は広東語圏なので、それができない私たちは何かと往生した。
聞くと、早急な手当てが必要な重症患者で待ち時間30分、それと認められない患者は3時間待ち、おまけに居留証を持たない私は実費で、基本料だけで1万円ほどかかることがわかり、あえなく診察をあきらめて帰ることにした。3時間もあんな殺気立った所で待つことを考えると、よけい悪化しそうだった。
再びタクシーに乗り、マンションに戻る。翌日リーの同僚にいい個人医院を教えてもらうことで手を打つことにするしかなかった。
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2009年01月01日

香港生活始まる

リーと香港へ帰る日は、従兄がその三女と車で空港まで送ってくれた。かなり遠いので断わったが、ドライブがてらどうぞどうぞと言われ、甘えることにした。
私の風邪は顕著に悪化し、車内の沈黙を恐れるあまりずっとしゃべり続け、とても疲れた。
空港に着いて、チェックインを済ませ、私は従兄たちを喫茶店に誘い、お茶をごちそうした。
そして、重々礼を述べ、2人に見送られて搭乗ゲートへ向かった。

機内は思ったよりよく詰まっていた。
私はリーの右隣に座り、ささやかなお披露目会の情景を思い出したり、私の幸せを最優先に考え、この結婚を許してくれた両親のまさに深い、無償の愛をあらためて感じ、おいおい泣いた。ああいうのを号泣と言うのだろう。

日本に比べ、10度は気温が高い3月の香港での暮らしが始まった。
土地が狭く、地震のない香港は高層建築物が林立しており、私たちのマンションも然りで、27階にいても違和感はなかった。香港島と間の海の景色が本当に一幅の絵のように広がった。
変な話だが、しばらく私はホームシックに陥った。国際結婚などして、親不孝の最たるものではないかと自責の念にも駆られる始末であった。
そして、日本でひいた風邪がひどい咳を伴い、市販の薬ではびくともしなくなった。
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2008年12月31日

リー、日本に来る

あの頃は幸せだったと思う。
リーは不在にしろ、彼の家に住み、しょっちゅう彼の家族と団欒し、会社では公認の仲となり、毎日のように香港から電話がかかり、穏やかに安否を確認するのが日課だった。
涙で彩られた時間から考えれば夢のような流れに、我ながら戸惑うほどだった。

そのうち、私は香港へ行くことに決まった。1月だったと思う。彼との結婚が決まり、2月で学校と会社を辞めて、3月に香港へ、というスケジュールに落ち着いた。
それから、入籍にしろ、挙式にしろ、私の両親に会って挨拶をしてからにしたいとの彼の意向があり、3月はじめ、一度帰国することになった。私は2週間ほど実家に滞在し、彼は遅れて4~5日間来日して一緒に香港へ帰るという按配だ。
3月というのに雪が舞う寒さだった。南国育ちの彼には、えらく応えたようだった。それでも、近くに住む親戚だけを招いて、簡単なお披露目会を開いた。私は久しぶりに着物を来て、いとこたちを迎えた。
風邪気味の身に着物はきつかったが、本当にうれしい、感激いっぱいの一日だった。
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2008年12月30日

リー宅へ移り住む

煮え切らない時間がしばらく流れたが、リーは私が彼のマンションに同居することに同意し、私は毎日出勤時バスの車窓からうっとりと見つめたその家に引っ越す運びと成った。念ずれば通ずる。そんな感慨があった。
引っ越しの日、リーは香港だったため、彼の弟夫婦が車で迎えに来てくれた。大きくないそれにあふれるほど家財道具を詰め込み、約15分ほどの道のりを行った。
日本の両親にはすべて報告してあった。リーへの真摯な気持ちをメールにしたため、「彼と結婚したい。ずっと一緒にいたい」と書いた。
それに両親は反対できなかった。一度目の結婚で、私が跡取りの責任を感じ、不本意に嫁ぎ、別れたことを不憫に思っているのも原因だったと思う。反対されても仕方なかった、私はあくまでひとりっこで、その任務はやはり果たされるべきだったのだ。
だが、先のことなど考えていられなかった。数十年先どうなるのかということばかりに足をとられていては今を逸する、という不安が私にも両親にもあった。
子供の数が減り、結婚や家に対する観念が大きく変化する中で、躊躇しつつも時代の波に乗り、自ら新たな心地よい境地を開拓しようとの意気込みもあった。
いや、そう自分を鼓舞するしかなかった。結局リーをあきらめることはできそうになかったのだ。
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2008年12月29日

彼は迷う

リーの家族の私に対する態度はどんどん親密になり、彼自身からもチェンさんの゛呪縛から解き放たれようとする言動が見て取れたが、その後なかなか私を娶るまでの意志を固められなかった。
リーは当時36歳で、自ら晩婚と話していた。彼とその家族も認めるように、特に30代前半まではかなりモテたらしい。その年齢以降、お腹が出始め、髪の毛が少なくなり、往時の勢いを失したが、、、、、
たしかにそれはわかるような気がした。写真を見せてもらったし、会社でも彼の仕事ぶりは良く、いわゆる「デキる男」だった。
また、彼は慎重で、ある種古風な面があった。結婚という人生のいち行事を、私以上に重くとらえている風でもあったし、「結婚する以上絶対離婚はしたくない」と常々話した。

あとで聞けば、私が彼を追いかけている時、彼が求婚すれば応じるだろう女性が私の他に4人もいたことがわかった。彼を心配して知り合いの女性を紹介する友達は少なくなかったし、以前交際したことがあり、またリーとよりを戻したい人もいた。34歳だった私より年上の人もいた。
彼がその5人の中から誰を選ぶかを迷っているのではなく、私と半生を歩むことに慎重だったのはわかった。チェンさんだけは例外としても。
その年の旧正月を向かえる頃には、どういうわけか社内にリーと私の仲の噂が流れ始めた。そして、同じ頃私は体調を崩し、香港在住で留守になっているリーのマンションに引っ越さないかと、主に彼の家族が声をかけてくれたのだ。
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2008年12月28日

大勢持ち直す

両親を無断訪問したことや、あまりに熱心な゛追っかけにリーが不快感をあらわにしたことは数回あった。
だが、リーが毎月台湾の本社に帰って来る時は、ケータイで密に連絡を取り合い、社内で話したり、2人で食事に出かけたりしたので、一進一退の状態が続いたと言える。
私たちの仲は社内で極秘にしていた。私はどちらでもよかったが、リーは関係がはっきりするまで公表したくない様子だったので、彼を怒らせないために細心の注意を払った。ふつうに話したり、社内のカフェでお茶していても、もともと近い部署で働いていたし、リーは日本語がかなりできる所以で、そう容易に怪しまれることなはかったのだが、、、、、

そんな折、アメリカにいるチェンさんに動きがあった。留学を終え、台湾に帰国するという。帰途、香港のリー宅へ寄りたいと打診してきた。
リーはその申し出を断わった。その成り行きに、私との事がどこまで影響していたかは測り知れないが、元カノ、チェンさんとの情況をリーが自ら打ち明けてくれたことがうれしかった。
そして、会社にリーの父親か母親が夕方電話してきて、「今夜帰りに寄らない?夕飯一緒に食べようよ」と誘ってくれるようにもなった。
もちろん私は恐縮、緊張しながらも、喜んでリーのいない彼の実家で、リー家族との団欒を楽しんだ。
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2008年12月27日

メモのせいにして、、、

泰然自若とした父親とは反対に、その18歳ほど年若い母親は、思ったことをすぐ口に出すタイプのカラッと明るい女性だった。父親が彼女の言動を横からさっと咎める一面もあった。
しかし、一貫して雰囲気は良好と言えた。私はリーが台湾に不在にもかかわらず、こうしてたまらず両親を訪ねて来たのは、彼が以前お付き合いしていた女性と結婚するかもしれないので、とにかく彼が時々話題に上げるお父さんお母さんにぜひ一度お会いしたかったのだと説明した。
そうなのだ、私は特に父親に会いたかった。リーが愛して止まない父親とはどんな人なのだろうと思っていた。
両親は私がリーを慕っていることはよくわかっているようだった。
「チェンさんのことは本人たちに任せてるのよ。まあ、かつていろいろあったからどうかとは思うんだけど、、、」
と言い、自分たちがリーに積極的にその元カノ、チェンさんとの結婚を勧めているのではなく、私にも希望はある、との見解を示した。

和やかな空気の中、私はリー家を出た。気分はよかった。
だが、予想通り、この無断訪問をリーは好ましく思わず、私の両親もあきれた。我ながら、今から振り返っても、よくもまああんなことを、と恥ずかしくなるが、居ても立ってもいられなかった、止められなかった。大事には至らず、なんとか一件落着したのだが、、、、
電話番号を書きとめたメモが出て来てしまった。
あれのせいにしよう。そうしておこう。
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2008年12月26日

リーの実家を訪ねる

通い慣れた道。会社が入ったビル群が見えて来た辺りで、バスを降りた。さきほどリーの母親がした説明を頼りに家を探すが、どうも見つからない。
仕方なく、ケータイで再度訊ねる。どうやらすぐ近くまでは来ているらしい。リーの母親が迎えに来てくれると言う。
その辺りは5階建てくらいの台湾によくあるアパートタイプの家が並んでいる。表通りを垂直に入った一帯で、静かな方だし、すぐ近所には「黄昏市場」と呼ばれる、午後4時頃から8時頃までにぎやかな市場も立つ。
リーの父親は軍人だったので、年金など国からの手当ては悪くなかった。そのアパート群にある家も国から与えられたもので、広さ、部屋数も両親と弟の4人家族が十分暮らせるものだった。

果たして、リーの母親と会い、自宅に招き入れられる。家には、父親と弟の奥さんとその一歳に満たない娘がいた。
突拍子のない行動を、心のどこかでひやひや見守る自分を感じながらも、誠意を尽くし、話をした。
リーは父親をとても尊敬していた。10代の頃、父親が亡くなったら、自分も生きている意味がない、と思っていたという。
その彼の言葉が頷けるように、70を過ぎたリーの父親は、寡黙で、控えめで、重圧な存在感を湛えた人だった。
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2008年12月25日

両親に会いに行く

小さいメモの切れ端に書き留めたリーの両親が住む家の電話番号は、座ると私のちょうど膝の上にくる引出しの中からひょっこり出て来た。見つからなければあきらめようと思っていただけに、かえってそのメモ切れの出現は運命じみたものを感じさせた。
土曜日だったと思う。午後、私は自室の窓際でケータイをドキドキしながらプッシュした。出たのは彼の父親だった。
「こ、こんにちは、私、リーさんの会社の同僚なのですが、、、、」
ひどく緊張してそう言うと、
「お〜い、リーの日本人の彼女からだよ。」
と妻を呼んだ。
え? 彼女?
動揺していると、リーの母親が変わって出た。高い声だった。2人の話しぶりから、リーはちゃんと私のことを両親に話しているのがわかった。
「あの、、、、、いつもリーさんにはお世話になっております、、、それで、彼は香港にいるわけですが、ぜひ、一度ご両親のお顔を拝見したいと思いましてお電話差し上げました。今日これからでもおじゃましてよろしいでしょうか?」
ずいぶん厚かましいことを言い出したものだと今さらながら赤面する。案の定、特に彼の父親は、息子が不在の時にそれはまずい、ともっともなことを言ったが、私の勢いと、母親のおおらかな(?)性格のおかげで、何はともあれ会ってもらえることになった。

私は急いで用意し、バス停のそばのパン兼ケーキ屋でロールケーキを買い、バスに乗った。
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2008年12月24日

長いレース

ソファに腰掛け、力説しているうちに感極まって私はオンオン泣いてしまった。いいトシして子供みたいだと、冷静に眺める自分を感じながらの号泣だった。
リーは私より2歳年上で、彼にしてもオンナの涙だけでほろりとするような年齢ではないにせよ、私の真剣な先ほどの質問で少し目覚めたのか、元カノとの復縁&結婚への勢いをセーヴするような態度を見せつつあった。

胸のうちをすべて吐き出し、リーが「じっくりもう一度考えてみる」と軟化したことで、私はだいぶ平静になって、彼の車に送られ帰宅した。車窓からの景色を見ながら、リーとの関係が新たな段階に入ったことを実感していた。
その後、緊張度の高い毎日を強いられたのは言うまでもない。一日一日が勝負だった。
10月に社員旅行が例年通り催された。何せ社員数が多いため、4団に分かれて行われた。各地の支社からも参加し、図らずも、幸運にも、私はリーと同じグループに振り分けられた。
その頃には2人の気持ちはかなり近くなり、リーが私を特別な女性と認めてくれているのではないかと期待できるくらいに進展していた。私が彼を追いかける構図には変わりなかったが、十分希望は持てる状況だった。

だが、それでも焦った私は、かつてリーが電話をかけてきた時に書き留めた実家の電話番号を机の引出しから探し出し、彼の両親に会いたいと思い始めた。
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2008年12月23日

正念場

リーの自宅も、お土産の香水も眼中になくなり、頭の中はまさに暴風雨襲来の沙汰であった。
落ち着け、落ち着け、と自分をなだめていると、少しは整理が付き、見えてくるものがあった。かつてケンカ別れし、治らぬ気まま病にリーも立腹したという元カノだと言う。リーが尊敬し、こよなく慕う父親の勧めはあるにせよ、本当にリーは彼女を今も愛しているのだろうか? 
もし、彼がyesと言うなら仕方ない。
私はそう思った。当時私は34歳、恋愛の領域で叶うもの、いくら努力してもどうにもならないこと、人の想いの無邪気さと執着云々のいくらかは心得ていた。ダメなものはダメなのはわかる。
「本当に彼女のことを今でも愛してるの?」
私はリーに問うた。勇気が要った。
扇風機の前に座ったままの彼は、「うー、、、、ん、、、、、、」と口ごもった。「わからないな、、、、、」
希望の光が見えた。まだ崖から落ちずにすむ。彼が彼女を深く愛していると答えたら、潔くあきらめようと思っていた。それならいくら押しても無駄なくらい私にもわかる。
だが、彼は首をかしげ、返答に困っている。

そして私は、今がんばらずしていつがんばるのかとばかり、熱心に熱い彼への想いを打ち明けた。一度、何かをするために腰を上げた彼は、私が座るソファにあらためて座りなおして聞いた。
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2008年12月22日

崖っぷち

暑がりなリーは、薄着で扇風機の前に座りながら、「もうこうして2人だけで会うのはやめよう」と切り出した。
凍りつく私が問うと、彼は結婚することになるかもしれないと言うのだ。
リーはかつて勤めていた会社の同僚と交際し、一時は日本で言う結納まで話が進んでいた。
ところが、ある日2人はケンカをして、彼女が「やめる、やめる、結婚はしないから!」と去って行ってしまった。さあ、これから挙式に向けてあれこれ準備しなければならない忙しい時期に、彼女は一年間米国留学すると言いだし、止めるリーに反抗した。せめて半年にしろとの提案もはねのけたという。
当時リーの父親は既にガンを発病しており、少しでも早く父を安心させたかったリーは、以前から気ままだった彼女を許せなかった。

その彼女が、アメリカから時々電話やメールを寄こすらしかった。前のことは反省している、また会いたい、と。
そして、一時帰国した彼女は3月、私が目の手術を受けるかもしれないあの日、リーと彼の両親と食事をしたのだった。
ああいう過去はあるが、2人が本気でやり直す気があるなら、早く結婚して落ち着け、というのが、リーの両親の意向だった。
早ければ年内にも挙式だと彼は言う。
は? もう9月も末だ。私は絶体絶命の崖っぷちに立たされた。
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2008年12月21日

初めて自宅に招かれる

リーの「先約」の詳細を知ったのは、あの年の初秋、9月末だったと思う。
初秋とは名ばかりで、相変わらず台北はうだるような猛暑にあった。メールなどで連絡を取り合い、5月香港から帰って来た彼と夕食に出かけた時、私はとうとう彼を慕っていることを告白したが、「香港にいるし、今は仕事に集中したい」と事実上、好意を拒まれた経緯があった。
それでも、リーは私とある一定の距離を保ちつつも、普通の部下上司以上の関係を受け入れた。
その、9月末はいつもより彼の態度がやわらかく、私のアパート近くまで車でやって来て、どこへ行こうか、暑いなあ、としばらくドライブした後、彼のマンションに連れて行ってくれることになった。私は驚きながらも喜びに胸が高鳴った。

「長い一人暮らしだから、何にもないよ」
と言うリーの部屋で、私はくつろいだ。彼は私にお土産だと言って、
以前私が愛用していると話したことがあった香水をくれた。香港の免税店で買ったようだったが、大瓶だし、かなり高価なはずだった。
夢かと思った。
しかし、案の定、その夢を消すどんでん返しが来たのだ。
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2008年12月20日

手術断念、リーも来ず

その後、病院を変えたりしたが、眼科通院は続いた。ドライアイを緩和する様々な手段を採り、また、レーザー手術で近眼を治せる方法があることも知った。
私がレーザー手術に興味を持ったのは、このド近眼さえ治れば、コンタクトレンズを入れずに済むと思ったからだ。もちろんメガネも併用していたが、厚いびん底メガネは重くて疲れ、見た目も気になった。
しかし、レーザー手術は誰でも受けられるわけではなく、視力や角膜の厚さなどを検査した上で判断されるらしく、私は大きな期待を持って医師による検査を受けることにした。診察日を予約し、OKが出れば当日施術という段取りまで整え、リーにもメールで伝えてあった。

3月末だったと思う。もしかしたら手術になるかもしれない日、リーはちょうど定例会議出席のため、台湾に帰って来ていた。私は前もって、もし手術を受けたら、その日は眼が見えにくいので帰宅するのが厄介だと書いたが、リーは当日他に先約があり、車で迎えに行くのは無理だと言った。
残念だったが、検査結果も角膜が薄すぎ、視力も過度に悪いため、理想的なレーザー手術は不可能と出て、私はがっくり肩を落とした。
だが、リーがあの日言っていた「先約」が何だったのか、ずっと後になって知った私は、さらに失望することになる。
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2008年12月19日

目を傷める

進展も後退もないような毎日がしばらく続いた。
しかし、私がリーを「追いかける」構図を自分が認めたことで、些か気持ちは落ち着いてはいた。
学校には友達がいたし、韓国人の同僚とも気が合ったが、そうしょっちゅう彼女らとわざわざ約束して会うことは少なかった。忙しい人は多かったし、寂しいながら誰かといるとなると時間や場所を拘束されて、それをうとましく感じる自分もいた。
そのため、パソコンと向き合う時間はどんどん伸び、いつしかコンタクトレンズを入れるのを苦痛を感じるようになってしまった。昔からドがつく近眼で、ドライアイの兆候も顕著だったが、それが一気に加速した感じだった。
それでも一日8〜10時間ほどは大丈夫だったコンタクトが、数時間でつらくなり、とうとうまったく受けつけず、何をしていても目が痛いようにだるく、目を開け、何かを見ることさえしんどい重症になった。吐き気までするのだ。

そして、台湾人の同僚に訊き、紹介された眼科を受診することにした。名前は聞いたことがある、結構大きい総合病院の眼科だった。
コンタクト禁止、目薬点眼の他に、日常注意することをあれこれ言われたが、ドライアイを根本から治す方法はなく、劇的な回復は望めないということがわかりがっかりした。
もともと孤独な生活に、リーを追いかける熱心さが加わり、パソコンに依存し過ぎた弊害だった。
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2008年12月18日

休日自主出勤

尾牙(忘年会)前から急な上昇曲線を描いていたリーとの将来構想は、すぐには受け入れられないほどその大幅な修正が必要となった。前の夏に受けた傷が、彼を想うことで徐々に痛みを和らげていくのを感じていただけに、よけい落胆は大きかった。肩透かしを食った気もしたが、リーが私の気持ちを見透かしてもてあそんだとは思えなかったし、東京支社長に私に気を配ってほしいと言われた以上、むげに扱えないのも理解できた。
私は自分の能天気な思い込みに苦笑せざるを得なかった。昔からある欠点の一つだとも言えた。気持ちは沈みがちになったが、引き続きリーに学校や日常のあれこれをメールで知らせ、彼が台湾に帰って来た時顔を見るのを楽しみに待つことにした。それしかできなかった。

学校は楽しかった。相変わらずまじめに毎日通い、宿題やテストにも取り組んだ。英会話学校にも週2〜3回は通い、毎日一度は教会や聖母公園に行った。
会社は週休2日制だったが、土日でも誰かは残業したり、オンラインゲームサービス運営のため、必ず交替で出勤する部署があったので、自分の身分さえ証明すればいつでも社内に入れた。遠いリーを想い、寂しい週末に耐え切れず、私はあの頃から週末でも会社へ行き、パソコンをONにして、彼を探した。
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2008年12月17日

独走態勢固まる

リーが夕食の場に選んだのは、私の住む町に近い夜市も立つ繁華街だった。たしか鍋料理を差し向かいでつついた。
心も身体もほっかほかになり、また彼の車に乗り込み、夜の道を走った。
私がいいと言うのに、リーは私のアパートが建つ細い筋に入り、門の前まで送ってくれた。
と、そこまではよかった。修道院から持ち帰った大き目のバッグを抱え、礼を言う私に、彼は笑顔でこう言った。
「じゃあ、僕は17日に香港に帰るから。またその時電話でもするよ」
、、、、、、、、、、、、、、、、
私は、さっきの鍋のほっかほかが、一気に芯から冷えるのを感じた。え?
それでも気丈に笑い、彼を見送った。
17日にまた電話するということは、この休暇中もう彼からの誘いは無いということなのか。
冷たい石造りの階段を上がりながら、私は進行中かつ構築中だった多くのものが崩れゆくのを感じた。そして、2人が同じ方向に歩んでいると思っていたのも、実は私の独走に過ぎないという信じたくない真実に向き合わざるを得ない現実から逃れようがなかった。

その後、本当にリーは何も言って来なかった。私はしびれを切らし、16日だったかに自分から電話をかけた。彼は悪びれもせず、明るく、
「そうだよ、明日の飛行機で香港に帰るんだ。」
と言った。
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2008年12月16日

結婚願望有りを確認する

リーの両親は結婚後すぐ子宝に恵まれ、母親はその後一度も勤めに出ず、子育てに追われた。軍人の給与は良い方で、2人は努めて節制し貯金して、3人の子供すべてを米国に大学院留学させ、いずれにも修士号をとらせた。
リーの弟は建築関係が専門で、今もって独身の姉は英語堪能、バリバリ働く、いわゆるキャリアウーマンである。
「チャンスがあるなら、もう一度渡米して博士号をとりたいと思うけど、どうなるかなあ、、、、」
リーの言葉に私はドキッとした。当時彼は35歳だったし、渡米したら、、、、、思わず、結婚はしないのかと訊く。
「もちろんその可能性もあるからわかんないね。幸せな結婚なら喜んでするよ。」
内心ホッとして、私は腕が触れそうなくらい近くでハンドルを握る彼の横顔を何度も盗み見し、うっとりした。

ようやく烏来に到着しても、駐車するのに往生し、またもや込み合う温泉場に驚いた。
だが、私はそんな周囲の状況など実際は何も関係なく、彼のそばにいるだけでウキウキしていた。これと言って食べたり、買ったりもせず、また台北に向け彼の運転で峠道を戻った。アクセル、ブレーキをしきりに踏まねばならない彼は足がつらそうだった。
台北に着くと、ちょうど夕食に適した時間になっており、リーは家族に電話して、外食すると告げた。
まだリーといられる。
私はまだ夢の中にとどまることを許された。
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2008年12月15日

リーの助手席で

シスターMに手を振られ、修道院から丘を下ると、小さな門衛詰め所傍らの門を出て、すぐリーの姿を認めた。
彼は律儀な守り役のように、さっと車から降り、ドアを開けた。
私は思ったほど緊張はしなかったが、彼の一挙手一投足、話題などから熱心にリーという人間をもっと探ろうと敏感になっていた。
2002年2月13日。太陽は高い。よく晴れていた。ドライブがてら烏来へ行こうかと言われ、喜んで承諾した。烏来は台北郊外にある有名な観光地で、温泉が湧く。私はまだ行ったことがなかったが、そんなことより、とにかく少しでも長くリーといられるなら何でもよかった。

案の定、そこまでの道路はお正月というので混んでいた。運転する彼には申し訳なかったが、私はちっとも気にならず、おしゃべりを楽しんだ。
広くはない車中で、私たちはいろんなことを話した。リーはその旧正月休暇中、毎日実家へ帰っているらしかった。マンションからほど近い実家には両親と弟一家が住んでいた。姉も台北で一人暮らしをしていた。3人きょうだいの中で既婚だったのは弟だけで、その2人目の子供が生まれたばかり。その姪と遊ぶのが、帰国した時の楽しみのひとつのようだった。
リーの父親は大陸出身、いわゆる外省人で軍人だった。母親は台湾の客家人、貧しかった彼女は二十歳になるかならないかで年の離れた夫に嫁いだ。
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2008年12月14日

湯船もプレゼント

あの修道院の生活で印象に残っていることのひとつに、お風呂がある。シスターMとの会話で、おそらく私が「お風呂で湯船に浸かりたい」か何か言ったのだろう。
「バスタブあるわよ。」
と、あまりに広くて隅々まで把握できなかった修道院の一画に、バスタブ付き洗面所があり、利用してもいいと言ってくれたのだった。日本人として、やはり寒い時期はゆっくり熱いお湯に浸かりたくなるのは、何年経っても変わらなかった。それほど大きくない浴室の湯けむりに埋もれ、ホッとするお湯に浸かり、至福のひとときを過ごしたのが懐かしい。

いよいよ修道院を去る日が来た。このままシスターたちと暮らしたいという厚かましい思いがなくはなかったが、そんなことは無理な話だったし、リーが下の門まで来てくれる次の楽しみがあったので、朝から眩しく晴れた空がキラキラして見えた。
数日間修道院にいて、信者がシスターたちを訪ねて来ることがあり、自家栽培なのか、野菜や果物をおみやげに渡すのを見た。私はおじゃまする前から気になっていたのだが、現金か品物でお礼しなければならないと考えていた。
訊きにくかったが、シスターMに伺うと、キッチン奥の事務室に入って行った。まもなく修道院長シスターもシスターMと一緒に出て来て、何も要らないわ、これは私たちからのプレゼントよ、あなたとともに過ごせて楽しかったわ、ともったいないお言葉をかけられた。
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