2008年11月10日

帰国決意

体調は芳しくなかったが、学校は楽しかったし、学校内外で知人、友人ができ、世界は徐々に広がって行った。自宅アパートの同居していた大家さんはまだ新婚の夫婦で、余った部屋を私と台湾第二の都市、高雄から来た中学校教諭になったばかりの女の子とひと部屋ずつ使っていた。この4人の年齢の開きは大きくなかったし、善良な人たちで、まるで兄弟姉妹のように暮らした。
旧正月には、高雄出身の彼女が実家に招いてくれて、高雄で台湾初の年越となった。
ケータイやパソコンがまだまだ普及していなかった時代で、私はマメに両親や友人にエアメールを書いた。時々電話もかけたが、当時は今よりも国際電話料金は高かったように思う。今から思えば、心細く、悲しくつらいことにぶつかった時にはなかなか立ち直りにくい環境に置かれていた。
生きた中国語を学べる理想的な生活に満足しつつも、心身ともに弱りがちだった私は、3学期(9ヶ月)間で自主卒業し、日本に帰る決意をした。
posted by マダム スン at 13:19| Comment(0) | 台湾へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月09日

台北の冬は寒い

台湾の気候は、北部が亜熱帯、南部は熱帯に属す。台北は北部に位置する首都で、だいたい5月頃から日本で言う夏の気温になり、その暑さは11月頃まで続く。春夏秋冬の観念があるものの、日本人からすれば、それは至極曖昧な区分であり、その境界線も滲んだように鮮明でない。
冬は確かに来る。台北にしか住んだことはないが、20度を切るととても肌寒く感じるようになり、15度を下回れば気象庁は低温注意を呼びかける。よって、真冬でも10度以下になることは稀で、なればそれはそれは極寒の域だ。
もともと暑い土地のため、一般家庭には十分な暖房設備がないことも珍しくない。日本でならとっくにストーブを焚いたり、こたつに入るくらいの気温でも、我慢していっときを乗り切ろうという感じだったから、寒がりの私には台湾の冬がひどく厳しく思えた。
その上、あの当時は時々急に停電した。シャワーを浴び、さあ、ドライヤーを使おうと思った矢先に電気が切れる。寒い。涙も出ないくらいわびしかった。
よく体調を壊した理由は、そんなところにもあったに違いない。
posted by マダム スン at 13:02| Comment(1) | 台湾へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月08日

水土不服

中国語が私と似たようなレベルでも、アルバイトをする学生はたくさんいた。各自の母国語を活かしてできる仕事が台北には結構あるということだった。
だが、私は留学期間を一年ほどと設定していたし、何よりも中国語を少しでも多く学び、吸収したいと考えていたので仕事のことは考えず、とにかく真面目に勉強した。
中国語に「水土不服」という言葉がある。当時、私はまさにその状態だった。と思う。「水土不服」は、いわゆる水が合わなくて身体をこわす、のような意味だ。
あの頃の台北は、正直言って汚かった。まず、空気が悪かった。排ガス規制が緩かったのだろう、晴天が続くとなんだか大気が茶色っぽく見えて、まとまった雨が上がると、その汚れが浄化されたことが容易に見て取れた。
水道水もひどかった。常にではないものの、見るからに茶色い水が蛇口から出てくることはよくあった。生水は飲めず、どの家庭でも煮沸してから飲用としていたが、それでも気持ち悪くミネラルウォーターを買っていた。
そういう原因だけではないかもしれないが、私はたびたび風邪をひき、胃腸を壊し、自律神経失調症のような病名をつけにくくも深刻な症状を発症し、何度となくベッドに臥せって勉強した記憶がある。
posted by マダム スン at 09:17| Comment(0) | 台湾へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月07日

不便な暮らし

授業は一日2時間だけだったが、5〜10人の少人数クラスで、先生の教え方も洗練していて、効率がよかった。宿題は毎日、テストも定期的にあり、私はすべてに真面目に取り組んだ。そして、どんどんわかる単語や言い回し、決まり文句に構文などが増えていくのを実感出来た。
だが、実際に現地の人たちと円滑な会話ができるかと言えば、そう簡単に行くわけではなく、肩身の狭い、不自由な暮らしが続いた。
最初困ったのは、バスだった。当時は、次がどこか車内アナウンスや掲示板があるわけでなく、窓外の景色を注視して、ここぞという時に下車予告ボタンを押す。それに、朝のラッシュ時は恐怖に近かった。
ボタンを押せたのはよいにせよ、ギュウギュウに混んだ車内からドア
まで進み、降りるのが骨折りモノで、現地の人は「下車!」(シャーチャー、降ります、の意味)ときれいな発音で叫び、事無きを得たが、私は自信のない発音で大声を出す勇気もなく、実にプレッシャー
とストレスを感じる日々だった。 
買物に行って、店員さんに何か訊ねたくても、文章がうまく組み立てられなかったり、四声が曖昧であきらめたりするのはしょっちゅうで、あらかじめ想定できる時にはメモに書いて持ち歩いたりした。卑下せず、照れず、ぶつかればもっと速く上達したかもしれないが、初めのうちは引っ込み思案な自分に甘んじていた。 
posted by マダム スン at 10:36| Comment(0) | 台湾へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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