2008年11月06日

台湾へ

留学生を専門に預かり、中国語教育を施すその学校は、3ヶ月がワンタームで、書類診査に合格すれば中国語力が如何であっても入学できた。入学、卒業の時期が自由に決められ、一学期間3ヶ月だけ学ぶ人もいれば、数年通う人もいたし、高校卒業後すぐやって来る若者がいれば、孫がいたり、杖をついている学生もいた。
教師陣も然りで、ユニークと言えた。ただ、標準的で美しい中国語が話せることが大前提の絶対条件らしかった。
9月1日に始まる、いわば秋学期からの入学を許された私は、その約2週間前に新入生の登録会なるものが数日間あり、私はその最終日に間に合うよう8月18日日本を発った。
住処としたのは、父の知人に台北に住む友人がいて、その台湾人の老紳士の弟が所有するアパートの3階だった。学校からはバスで30分はかかる距離で、多くの留学生が学校付近に部屋を借りる現状に反したが、なにせ初めての海外生活で、言葉もままならない心許なさ、、、やはり知人が近くにいる安心感を得たく、そうしたのだった。バス通学も、慣れてしまえば苦ではなかった。
新入生登録日に簡単なクラス分けテストを受けたが、案の定、入門クラスに振り分けられた。数年間の独学など、発音が極めて難しい中国語にはまったく通用しなかった。ショックではなかった。言葉と言うものはそんなものだろうと思えた。
posted by マダム スン at 15:19| Comment(0) | 留学に向かって | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月05日

留学へ一直線

涼しく快適な部屋に戻り、どうしたものかと何度も持ち帰ったお弁当を眺め思案したが、お腹は空くし、芳香を放ち、おいしそうな三寶飯の魅力に抗えず、腹痛もろもろ覚悟で食べることにした。
口に入れると、見た目に劣らぬ美味で、まだ惑う気持ちと裏腹に結局全部食べてしまった。旅先で体調を崩す不安は小さくはないが、どうしようもなかった。
あまり長くホテルで休んでいてはもったいないと、2時間ほどでまた外出することにした。ずっと気になったが、ついに炎天下の鶏はおとなしく私の胃と腸に収まり、取り越し苦労と美味の余韻だけを残した。
細々と続けていた中国語を恐る恐る使ってみたが、カタコトの日本語を話せる人が多く、会話はなんとか成立したので、私の中国語が通用するものか否かの判断は難しかった。ただ、総じて人々は親切でやさしく、食べ物はおいしく安く、明るい太陽と暖気に心身ともに和む台湾に大いに好感を持った。
ホテル近くの道路を歩いていた時だったと思う。いいなあ、台湾。こんな地で中国語を勉強してみたい。そうだ。よし、ここに来よう。ここで中国語を勉強しよう。そう思い、決めた。
決めると行動は速かった。日本に帰り、約半年後には、国立台湾師範大学にある国語教学中心から入学を許可する航空便が届いた。提出していた大学卒業証明書に成績証明書、2名の推薦書、預金残高証明書、健康診断書などの書類診査を通過し、9月からの授業に参加することを認められたのだった。
posted by マダム スン at 08:55| Comment(0) | 留学に向かって | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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