2008年11月02日

恋人との別れ

恋人との別れも、心が晴れない一つの要因だったと思う。ホテル時代の同期と交際して、結婚の約束まで交わしていたが、彼は長男、私は一人っ子、結局はこれが原因で別れざるを得なくなった。互いの家が、私たちを跡取りと考え、手放すことを拒んだからだ。彼が婿養子になってくれるよう試みたし、私も、親に背いてでも彼の家に嫁ごうかと幾度も考えたが、2人ともそこまで踏み切れず、別れを選んだ。
彼との連絡を絶った後もなかなか忘れることができず、何度こちらから電話をかけようかと迷ったかしれない。彼が遠路車をとばし、会いに来てくれないか、耳をすましたこともあった。
だが、そんな思いを徐々に振り切れたのは、まだ彼を深く愛しているから恋しく切ないのではなく、2人で過ごした時間や、楽しかった思い出が輝いて見えるからに過ぎないと、客観視できるようになったからだと思う。
もうダメなんだ。別々の道を歩く者同士だったんだ、と観念してからは、長いトンネルを抜け出たかのように、視野が開け、あらゆることに意欲的になっていった。努力しても叶わないこと、誠意があってもどうにもならないこと、願っても願っても聞き入れられないことがあるということを、初めて身をもって学び、人生との向き合い方を再考した。一見、悲観的に見えるこの悟りは、逆に、目に見えない運命とか宿命とか神の采配という強大な力が働いている事実を体感することとなった。
posted by マダム スン at 00:00| Comment(0) | 社会人時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月01日

就職、中国語教室、退職

2週間の研修最後の日、辞令を受け着任したのは、中華街もある中国人が比較的多く住む街だった。フロント勤務を命じられた私は、会社が用意してくれたワンルームマンションで暮らし、ホテルの業務に勤しみつつ、そこから徒歩でも通える距離で中国語教室を見つけ、週に一度、仕事が引けた後、初歩の初歩から中国語を学びに行った。
今から思えば不謹慎と言うか、もったいない話だが、一日立ち仕事をし、先輩社員に気を遣い、またお客様相手のサービス業ゆえ、心身ともに疲れて授業にのぞむことになり、不覚にも眠気に必死に抵抗することに終始することが多かった。
先生は日本で生まれ育った2世で、日本語は日本人と見紛うほど堪能、でもって初老のやさしい紳士で、私は自分の中国語が上達しない懸念よりも、その先生に対し、申し訳ない思いに苛まれたものだった。
その後、電車で片道30分ほどの他支店の内勤に移り、半年ほど勤めたが、どうしても将来にしっかりと続く道として、その職場を見据えられなくなり、悩んだが、ついに退職して実家に帰った。もちろん、中国語教室には通えなくなってしまった。
田舎とは言え、学習塾や家庭教師の需要くらいはある町だったので、私は英語の講師や家庭教師をして働いた。中国語の独学を細々と続け、かねてから力を入れたかった執筆にも時間を割いた。
忙しくはあった。英語を教えるのは楽しかったし、講師や家庭教師という肩書きも嫌ではなかった。
だが、予想外の早さで不便な田舎に舞い戻り、自分を引っ張り、鼓舞するような壮大な夢や目標に欠け、おおげさに表現するなら、かなり失意の中にあった。
posted by マダム スン at 15:14| Comment(0) | 社会人時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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