また、同地区の幼稚園児と小学生が定時に集合し、徒歩で通学するため、遅刻は厳禁。逆算すると7時15分には家を出ないと間に合わない。6:20頃には起床ということになる。
2学期までの1週間ほどで、台北とはまったくちがう生活習慣の基礎を作ることになった。ランもメイも自宅や幼稚園で午睡していたが、帰国後スッパリやめて、その分早く寝ることにする。これはかえって良いことだった。
夏休みも大詰めの8月27日、私は車で10分ほどの地元で最大の家電企業へ面接に出かけた。
これは父の知人がその会社の人事部長と知り合いで、台湾にいた時から細々と就活していた私に唯一巡って来たチャンスであった。とにかく会ってやってもいい、という返事をもらっていた。
田舎の会社とは言え、大手電気メーカーの支社の部長サンだけあり想像以上にシビアで質の高い面接に感じた。
なぜ家電メーカーという私にはまったく畑ちがいなところにアプローチしたかというと、中国人従業員が勤めており、通訳のような仕事が期待できたからだった。
双方ともに希望を述べ合い、20分ほどで面接は終了。
そして、意外に翌日早くも電話があり、不採用を告げられてしまった。