ランは9月、2学期から入園することになっていたので、座布団、上履き、コップ、箸、タオル、黄色い傘などを準備しなくてはならなかったし、制服、体操服、通園リュックや帽子などはすでに注文済みで、26日主任先生から一式受け取ることができた。
私と主任先生がじっくり話せるようにと、母が同行し、遊戯室などでランとメイを見ていてくれた。
私の母校である幼稚園だが、当時の建物は新築され、美しく可愛らしく生まれ変わっていた。天井の高い遊戯室はユニークで、夏涼しかった。
ちょうどランの担任をしてもらう年少組の岸本先生も出勤しておられ
あいさつすることができた。ランのリュック入れや下駄箱などに名前シールが貼られ、受け入れ準備は整っていて大変感激した。
しかし、当のランは先生方に「おはよう」くらいしか日本語が出て来ない。先生方もランの日本語能力をとても心配されていた。
「私たちが言うことはわかるでしょうが、自分の言いたいことが言えないとかわいそうですねえ。」
数日間私が様子を見がてら園に滞在してはどうかという話も出たが、結局それはナシになった。かえって彼女の日本語復活を遅らせるだろうというのだ。
子どもの言語能力はすごい。とにかく様子を見てみようと決まり、始業式を待つことになる。
実家の中でも娘たちは全部中国語で、父と母はたびたび私に助けを求めてきた。
それでも、台北のマンション暮らしとちがい、好きな時に靴やサンダルを引っかけて外に走り出る娘たちを見て、帰って来て良かったとしみじみ感じた。