まあ、こよなく愛する物書き分野で一定の評価を得られたのだろうと解釈すると、これは実に興奮に値する体験であり、今後も機会と意欲と書きたくてたまらなくなる構想が生まれれば、生涯書き続けたいと思った。
さて、このヨロコビ冷めやらぬうちに、8月25日がとうとうやってきて、ランとメイと私はリーと義母の空港までの見送りを受けて、日本へ向け飛び立った。
日本滞在期間が半年か、1年か、それ以上になりランが幼稚園卒園までになるかははっきりわからないまま台湾を離れた。
関空着は午後1:00。
到着ゲートを出ると、娘たちは私より先を歩き、いち早く電車とバスで迎えに来た祖父母(私の両親)を見つけ、駆け出した。
「じーちゃーん、ばーちゃーん!!」
高い天井の白い建物に響き渡る彼女らの声。周囲を気遣ったが、映画のワンシーンのような微笑ましい光景と言えるのだろう、にこにこと周りは眺めてくれた。
とにかく日本へ帰って来た。先ははっきり晴れては見えないがやるしかない。
ほとんど日本語をしゃべれなくなった娘たちと祖父母の通訳役にも忙しい日々が始まった。
翌26日、さっそく幼稚園の主任教諭を訪ねる。
この幼稚園は私が数十年前に通った母校でもあった。