さて、いよいよカウントダウン開始、22日にはスーツケースを開き荷を詰め始めた。
2008年のその時点で、大抵利用していた日本アジア航空は無くなり、親会社である日本航空がその路線を運航するようになった。
ちょうど世界的に原油価格が高騰し始めた時期で、各航空会社とも運賃値上げを余儀なくされたが、日本航空もご多聞にもれず、であった。
他にも数社、関空へ飛ぶ航空会社はあるが、幼い娘2人を連れてでは、料金低めながら時間帯が理想的でないそれらはまだ避けたかった。
すでに船便でダンボール14箱を日本の実家へ発送しており、着々と無事に到着し、母がだいたい箱から出したり、日に干したりしていてくれた。
それでも3人分の家財道具は多く、スーツケースもすぐいっぱいになる勢いだ。2本の二胡は2本入れられるケースを購入し、もちろん肩にかけて持ち帰らねばならない。まあ、これでも一人をベビーカーか負い紐、もう一人の手を引いて移動した頃に比べれば、ずっと身軽になったと言える。
ちょうどそんな折、マンション階下のポストに日本から封書が届いた。原稿用紙10枚のエッセーを登校した会社の封筒である。
白いそれを手にした瞬間、私は何かしら賞を得たと直感した。