台湾大学病院顎関節症専門外来2度目の受診翌日4月30日、リーはとうとう財務状況が火の車だった会社を辞め、失業した。次なるあてなど全くなく、5月中旬上海へ一週間ほど行く予定くらいしか入っておらず、私も日本の両親もたいそう不満かつ心配だったが、彼自身はひどい会社を退職し清々した様子だった。退職金や失業保険があるわけでないのに彼がのんびりしていられたのは、株をやっていたおかげだろう。
リーが在宅になり便利になったことは、彼がメイと午睡をするので平日でも伊巴珈琲に行き、一服できるようになったことだった。
胃潰瘍から復帰後、王さんは芳しくない経営状況打破のため、営業時間を変えたり、朝食をやろうかとか、新メニューをレシピ本を見ながら練ったりするようになっていた。
私も意見を求められ、2人であーだこーだ考えたりもした。
その日、伊巴珈琲の店内で小説の構想が浮かぶ、
一週間ほど前、台中に帰省した台湾人の友人からもらった電話がきっかけだった。某テレビ局に勤める愛称ゴマくんから、学生時代通った師範大学そばの食堂が店を閉めたという話から、いつかは書きたいと思っていたテーマがどんどんまとまり始めたのだ。
その後、その作品は10ヶ月ほどかかり、原稿用紙350枚の大作に仕上がることになる。
5月6日(火)昼食後、リーにメイを任せ、台湾大学病院へ向かう。
マウスピースが出来上がる日で、午前中ではなく午後来るよう言われていたのだ。
2010年01月19日
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