台湾にも元同僚や知人友人はいたが、結婚・出産後はなかなか出かけて会いに行くこともままならなかったので、自宅前にいる彼女らは貴重な友と言えた。
そのうち王さんも私同様、料理好きだとわかり、そんな話でも盛り上がったし、彼女の食譜(レシピ本、のこと)を貸してくれたりもした。
彼女はその店の2階に住んでいたが、どうやら恋人と同居しているようだった。
「あれ、私の彼よ。」
と教えてくれたし、たしかにその長身の男性はたびたび店に座っていたが、私から一緒に暮らしてるの?などと訊くことは気が引けた。
いずれにしろ、私を含め、いろいろあった3人であった。
また、だんだんリーとの夫婦の悩みを王さんに打ち明けるようになり益々伊巴珈琲は私の心の支えになっていった。
さて、すっかり幼稚園生活を謳歌するようになったランは、ほとんど日本語を話さないようになっていった。
台湾では娘たちに日本語で語りかける私であったが、ランは一日の多くを幼稚園で過ごすので、それは仕方ないことだった。
4時以降6:30までに園に迎えに行くのだが、そのうちランは「明日は5時に来て」と注文をつけたり、「なんでこんなに早く来るの?」とすねたり、とにかく園の先生や友達との毎日が楽しくてしようがない様子であった。
また、家では、ヘレン老師の口調を真似るように、妹メイ相手に幼稚園ごっこをするようにもなった。
11月下旬。25日我が家は1泊2日の旅行に出る。
それは……