洗濯機だけではない。パソコンが時々うまく作動しないことがあっても私が壊したことになる。家電製品の不具合はすべて私の責任になり、時には天気や渋滞や娘たちの風邪の原因も私に持って来られた。
要するに、機嫌が良くないと彼は私の非にしたのである。いや、そう感じずにはいられなかった。
実にその年は家内の物がよく壊れたり、修理を必要とした。
また、どこの家庭でもそうなのかもしれないが、恋人・新婚時代にはなかったのに、子どもができるとそれをめぐることで意見が合わなかったり、教育方針を決める主導権争いのようになり、口論は絶えなかった。
傷心しつつも、私は主婦としても母としても立ち止まることはできなかった。幼稚園へ通うランは、だいたい月2回のペースで風邪をひき、だいたい小児科へ走らねばならず、それがリー、メイ、私の順に回ってくるパターンを繰り返した。
リーの仕事の方も順調ではなかった。いちばん良かった頃より収入が減るのは仕方ないにしても、社長の人柄や経営手腕そのものに問題があることで社内の士気が低下し、会社生命を危うくするような事態に常に瀕していた。