町の子育てセンターへはまた通わせてもらったし、「まちの子育てひろば」という取り組みが浸透し、各保育園や幼稚園が月に2~4回園を開放し、未就園児とその親の交流の場を提供しているので積極的に娘たちを連れて行ってやった。
また、早々と市のハローワークへも行った。
だが、こちらは完敗。中国語ができる、と言っても、それだけで優遇されるわけではないし、中国人がいる会社や工場でも通訳専門者を雇う余裕はないとのことだった。それもそうだろう。
想像はしていたものの、想像以上の手応えなしにかなり落ち込む。看護師だけはたくさん求人票があるのを見て、複雑な心境になる。
そして、これからは介護やヘルパーの需要は高まるだろうが、あれも体力は要るし、資格も必要だろうし、豊かな人間性と強靭な忍耐力が求められることを考えると、私には務まりそうもない。
それから、リーの命を受けて市内にある酒造会社に電話をかける。
数社あるなかに、以前中国語の関係で知り合いになった酒蔵があり、そこの社長とは面識があった。懐かしい社長の声に和む。
リーは来日するたび日本酒を楽しみ、うまい!と評していた。起業を夢見るリーは、日本のおいしい酒を台湾に輸入できないか、と考えたのだ。