あの2ヶ月半の日本滞在時にもP社の加藤という担当者から自宅に何度も電話があり、共同出版の形式で本にしないかと勧められ、7月1日、大阪にある支社を訪ねることになった。
これは費用の約半分を作家が負担する、昔はあまり聞かなかった出版方式で,だいたい100万円以上かかるのが相場だ。そして、今はWEBだけに作品を掲載する契約も可能と聞く。
文章を書く者にとって、自分のかわいい作品が活字になり人様の目に触れるというのは大きな目標であり、喜びだ。
しかし、そんなまとまったお金をつぎ込むことにはやはり抵抗も躊躇もあった。独身の身ならまだしも、もう子供が2人いる。無名の物書きの端くれの端くれが書いた本で元が取れるとも考えにくい。
わざわざ大阪まで出かけたが、私は一切断わることにした。自腹を切らずに自分が書いたものが出版されるところまでがんばるべきだという信念と決意を再確認もした。
まあ、あの判断は結果として吉と出た。
その数年後、P社はつぶれた。
この、ヘタに豊かに、選択肢が多くなった時代、心が病み、見失いそうな自分を取り戻したいとペンを持つ人は増えた。誰だって文章は書ける。作家志望なんてゴマンといる。
この現実に悩むことはたびたびあったが、私はそんなご時世とは関係なく、やはり書きたかった。書かずにはいられないように造られているのだと思った。