その時もそうで、彼は2週間ほど経った5月末、台湾の大手オンライン人材バンク「104人力銀行」に履歴書を送り、登録したと言った。ネットで就活するならまずここ、というほど大きな会社で、市バスの車体などにもそこの広告が描かれている。
彼への私の影響力云々はさておき、とにかく起業に突っ走ることだけは回避した状況に、ひとまずホッとする。
さて、5月は私の誕生月だ。
昔はだいたい中間テスト期間と重なり、あまり晴れやかな気分でない時もあったが、やはり夏から初夏に向かう緑濃くさわやかな季節は、うれしくない「老化」しゆくユーウツを緩和してくれる。
そら豆、えんどう、蕗、グリーンピースなど我が家の畑に実ったり、ご近所さんがおすそ分けしてくれたりと、春の収穫は続く。豆を皮から取り出す作業をランが手伝えるようになり、祖母と並ぶ微笑ましい姿を私はそっと楽しんだ。
また、この時期、ハウス栽培はしない苺が色づく季節で、「ランちゃんたち帰って来てるみたいやし……」と近くの何軒かが苺を届けてくれたりもした。
はしり梅雨があったが、また晴天が続き、6月を迎える。
4日、6月22日号『婦人公論』が郵送されて来た。表紙は松田聖子である。
韓国生活について書いた短いエッセーを「読者のひろば」に投稿したら掲載されたのだ。
今も、この6月22日号は書斎の本棚にある。