そこまで行かずとも、思い通りにならない子どもの行動に立腹し、子育てや家事疲れもたまって、叱り始めるとどんどんエスカレートし、ヒステリックな自分に愕然としたり、事後、ようやくしきりに悔やみ、自己嫌悪……。
それで、私も日記にあんなことを書いたのだろう。あたかも私が娘たちの人生を支配しているような驕り(おごり)を嫌い、彼女たちの人生において、たまたま彼女らを産んだのが私であり、母親としての役割を天から与えられた、とてもシンプルな真実に気づいていたかったのだ。
それは何も子どもが幼い間だけでなく、生涯心していなければならないことだろう。
さて、4月28日ひとり台湾へ帰ったリーは、5月2日、新しい会社に初出勤した。
ところが、ソウル時代、私の反対を押し切る形で前の会社を退職した彼であったが、早々にして不満を吐露した。
以前は、11階の我が家の窓からその商業地のビル群が見える近さだったが、新しい職場は台北市内湖区という、我が家からは台北市を縦断せねばならない距離にあった。渋滞がなければ25分くらいで行けるが、恒常的渋滞に悩む台北では40〜50分かかることもザラであり、当時彼が乗っていたパジェロは通勤車とは言えず、ガソリンをすこぶる消費するのも頭が痛いことだった。
もちろんそれらは事前に予測できたことだったが、リーを憂鬱にしたのは、他ならず、会社の雰囲気の悪さだった。