お気に入りの食パンなどが売り切れるのを怖れ、しょっちゅう予約を英語で四苦八苦しつつ交渉したものだ。焼きたてアツアツのそれを袋の口を閉めずに持ち帰ったこともしばしばだった。
それから、元高校教師のマンション管理人のおじさんには中国語で手紙を書き、キミーにハングル語に翻訳してもらったものを渡した。言い尽くせないほどの感謝にあらためてジーンと来る。今も元気だろうか。ランとメイを見せに行きたいなあ。
万感迫る一日。
さよなら、ソウル。
そして、リーと出会い、多くの親しい同僚がいるあの会社から、とうとうリーも私も籍をはずし、過去のものとなっていく。
4月6日、早くも日差しが初夏の台北に着いたのは午後4時。
飛行機でともに帰った荷物をその日のうちにだいたい片付ける。
まだ殺風景な我が家、メイを義母に預ける。
翌日、さっそく止めていたケーブルTVとADSL再開作業に午前午後ともに来てもらう。これでNHKが見られるようになり、インターネットにも接続可能に。
まだ家財道具がそろわず、昼も夜も台湾名物バイキング式食堂・自助餐の世話になる。近所に芳香自助餐という安くておいしい店があるのだ。