送別会が終わった翌日から、私は荷物の整理に多くの時間を費すようになった。あと5日・・・・・ そわそわ落ち着かず、整理すべき物もいっぱい。それでも食事は摂らねばならず、買物はまだ必要だし、休む間なしの忙しさだった。
3日に引越し会社の担当者が見積もりに来て、5日梱包、荷出しとスケジュールが組まれた。
4月21日には日本へ帰国することにしており、台湾経由でなく日本へ送るものは別に段ボール箱に詰め、ベビーカーに載せて郵便局へ行った。月曜日でリーは出勤。自分で解決するしかない。11kg、なかなかのものである。
郵便局窓口で、いつものように英語で奮闘。
船便で25000ウォン、当時なら2500円ほどだった。韓国の物価高からいえば、安いほうである。
そうそう、その前日の日曜日は、時々行っていた牡蠣の店へ足を運んだ。韓国で最後の外食だった。
そこは牡蠣がウリモノとは言え、一般的な韓国料理も豊富で、私はだいたい寒鶏湯(サムゲタン)を味わった。鶏の内臓を取り出し、もち米、ナツメ、にんにく、高麗人参などを詰めて煮る、あれである。一人前にちょうどよい半鶏分のものがあり、重宝した。もともと鶏肉好きな私、文字通りほっぺが落ちそうであった。その店は大根キムチもおいしく、ぱりぽりごちそうになったものだ。
ソウルで林さん親子と最後に会ったのは4月4日。
林さんとは気が合い、夫の愚痴などを言い合い、ランとミクちゃんは同い年、これからも末永くつき合いたいと思っていたが、その日以来彼女たちとは会っていない。
林さんの念願叶い、数ヵ月後ご主人は東京支社勤務となり、家族3人東京へ越したが、彼の浪費癖、暴力、浮気などが家庭の平和を脅かし、林さんは部屋を借り、別居。
以来、いくら私がメールしても返事が来ることはなかった。
「気持ちがすさんで、話したくないなら仕方ないです。でも、陰ながら応援してるからがんばって。そして、林さんにはソウルで本当にお世話になりました。たくさん助けてもらったこと、一生忘れません。ありがとう。」
心をこめて書き送った。