海外専門の引越し業者があるのをその時私は初めて知った。リーの会社が手配したその業者は、見積もりから荷造り、運送までテキパキとスマートにやってのけた。
7月25日、台北は最も暑さの厳しい季節に入っていた。
それでも、私は二胡のレッスンを受け、最寄りの保健所(衛生所)へメイのB型肝炎とポリオの予防接種にも行った。メイは生後6ヶ月、鏡に映った自分に反応するようになった。
30日の韓国行きまで日がいくらも無い。
27日は馴染みの皮膚科に予約を入れ、医学エステを受けに行く。
久しぶりの大坪林、いつものように李姐が笑顔で迎えてくれる。3ヶ月間の日本での出来事や、これから1〜2年は続くであろうソウルでのことを話した。
昼はその黄皮膚科に近い道恩素食坊で焼きギョーザを食べる。独身時代、週の半分ほどは通っていた、お気に入りの菜食レストランである。肉魚まったくナシとは思えぬボリュームあるおいしさで、メニューも豊富だ。
夕方は義母と2人、娘たちの髪を切りに出かけた。忙しく毎日が過ぎていく。
リーが不在のため、ランはほとんど義母宅で過ごしていた。あの頃から「痩せの大食い」だったランは、終日「餓!餓!「(お腹が空いた!)と連呼し、義母を困らせていた。