それから朝市へ歩く。
自宅最寄りの例の朝市は基本的に、肉、魚すべてと多くの生ものや野菜を売る店は毎週月曜日が休みだが、面積から言えば半分ほどの店は営業する。
リーに「3種類果物を買って来て」と言われた。今日はそれだけ買えばよい。
何軒か果物を売る店が出ている。何度か来たことがある、豊富な品揃えの一軒に決める。マンゴー、木瓜、巨峰にする。175元なり。台風後、果物も値が上がった。
帰宅後、私は二胡を弾き、9時に家族4人マイカーで出発。台北縣汐止市を目指す。そこの五指山という山に義父が眠る。さっき買い帰った果物は助手席に。台湾では墓参りに果物やケーキ風パンなどを持って行くのが一般的である。パンはなしにしたが、リーはお茶をたて、ミニポットに入れた。
外国人が称する「台北」はおそらく「台北市」を指していると思われる。台北市はいわゆる政令指定都市で、その周りに10近い市を有する台北縣があるわけだ。私の自宅があるのはその台北縣の方ある。
何度か記したように、義父は軍人だった。軍人は公務員で、社会的地位は高いほうだったと言える。
それを証明するように、退職金や年金はひと昔前の日本の公務員のように良く保障され、義母が現在も住むアパートは国から与えられたもので、義父亡き後も配偶者の義母は生涯家族年金を受け取れる。60歳を過ぎた女性がひとり生活するには悪くない金額だ。
汐止市の五指山は緑まばゆい高い山で、その頂上に「国軍忠霊殿」が建つ。陸軍上校だった義父の位牌はそこに安置されている。
家族そろっての墓参りは久しぶりだ。台湾名物といえる50~60cmある長い線香をリーが代表して供える。持参したお茶と果物も並べ、4人手を合わせる。
義父は赤ちゃんだったランを数回抱いただけで、メイは台湾の祖父が逝ってから生まれた。
今日義父は、だいぶ「お姉ちゃん」になった2人の孫娘を見てとても喜んでくれたと思う。私も義父のそばに来られたようでうれしかった。今でも生きてくれていたらどんなによかったかと思う。大好きだった義父を想うとまた泣けてきた。
長く細い線香が半分以下になった頃、もう一度手を合わせ、果物を片付け、帰路についた。
片道約1時間。近くはないが、心安らぐよい時間だった。
帰り、娘たちは車中でうたた寝。ちょうど正午に帰宅。
午後3時には、台湾での夏休み最後のピアノレッスンにランを連れて行く。