2009年07月19日

客家の里で曾祖母と再会。南国の果物や野菜が実る義母の生家での休日。

北二高は最北端の基隆市から最南端の屏東縣まで貫く高速道路である。
中和インターチェンジからそれに乗り、一路、苗栗縣へ。
7:45分に台北を出発し、9:00ちょうど義母の生家に到着した。
まだ写真をUPできなくて残念だが、いかにも台湾の田舎らしい、古風で簡素な平屋に、88歳の曾祖母がひとり暮らしている。
台湾総人口の3分の1ほどは首都の台北に集中しているため、一歩そこを離れると山や田畑の緑が近くなる。曾祖母宅も私の日本の実家を彷彿とさせる静かな田舎にある。

苗栗や新竹といえば、客家人が多く住む地域で、義母も客家人だ。
昨日は義母の2人の妹と弟夫婦、それに従兄も集い、朝からにぎやかになった。
ふだんは昨日ほどでないがそれなりにひと気がある。曾祖母は高齢と持病が進み、特に、近くに住む義母の弟と一番下の妹がだいたい曾祖母の世話に来ているのだ。
台北から5人やって来るとあって、昨日はみんなが食材を持ち寄り、歓迎してくれた。

私は少しでも涼しいうちに二胡を弾き、リーと娘たちは周辺を散歩したり、半年前、叔父がもらって来たという艶の良い黒毛の子犬がつながれ、ちょうど木陰になるあたりに座って遊んだりした。
その木は日本にはないスターフルーツの木で、リーの車のそばにはまだ濃い緑のバナナがたわわに実っているのが見える。
その後ろには小川が流れており、川沿いにはグレープフルーツや木瓜が生っている。釈迦、という台東が産地の珍しい果物の木まであることに今回初めて気づき、びっくりする。お釈迦様の頭の様子にそっくりの外観からその名がついた。本当に似ている。種が多く食べやすくはないが
独特の食感で、甘く、私は好んで食す。

義母が曾祖母に大きな声で話すのが聞こえてくる。中国語でも台湾語でもなく客家語である。中国語しか私は解せないが、客家語と台湾語が異なるのは聞いているとわかる。ちなみにリーは成人してから台湾語を習得したが、客家語はできない。

さて、正午になった。
テーブルにのりきらないほど、大皿のご馳走が並ぶ。野菜はほとんど曾祖母の畑で採れた無農薬のものだ。今は叔父たちが曾祖母に代わり、畑を守る。暑いなか、心のこもった郷土料理を作ってくれたことに感謝の念が湧く。
しかし、毎回私は曾祖母宅で少ししか食べられないのだ。もちろん遠慮なんかではない。会話に困ることもないが、客家人の食事はものすごく油っこいからである。

台北でも、家庭で食べるより外食は油っこい。しかし、私が作るものより義母の料理の方がずっと豊富に油が使われる。苗栗ではまたその数倍油っこく感じる。味つけはおいしくても多く食べられないのだ。残念。

午後ひと休みして、叔父や叔母が川に遊びに行こうと誘った。リーも子供の頃、川で水遊びしたもので、私はちゃんと娘たちの水着や着替えを持参していた。
私はバテ気味で、大好きな曾祖母が午睡中のその時、別室で目を閉じ休んだが、ランもメイも大喜びでついて行った。リーによると、叔父は黒い子犬も連れて行き、泳がせたらしい。

昨日、苗栗は曇りがちで風もあり、庭の木陰に椅子を出し談笑できる貴重な一日だった。
1年ぶりに大好きな曾祖母と再会し、耳の遠くなった彼女の耳元でたくさん話もできた。日本語教育を受けた世代の曾祖母は、私にしょっちゅうきれいな発音で日本語を話す。

午後4;00、辞する時、私は曾祖母の頭を抱き、おでこに2回キスをした。すると、とても切なく涙がこぼれた。来年も元気で私たちを待っていてほしい。

往路よりは15分ほど時間がかかり、5:40台北の自宅に帰る。
おとといまでの2日間吹き荒れた強風が止んでおり、室内32度、リーはたまらずクーラーをつけた。
私が就寝する10:00でもまだ31度あったが、心地好い疲れのおかげか、私はいつも通りクーラーなしでも深い眠りに落ちた。
posted by マダム スン at 15:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 2009台湾夏報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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