11時や12時にその日最後のミルクを与えたことはもちろんあるが、朝まで静かに寝てくれたものだ。
しかし。
だが、メイはちがう。昼間同様だいたい数時間おきに泣いてミルクを欲しがる。早い時は1時間半だ。
私はよたよたと置き、粉ミルクを作る。母乳は出たが、全部それでまかなえるほどではなかった。うつらうつらしつつミルクを飲ませる。眠いのだけど、すぐまた熟睡はむずかしく、また次の催促で起こされるの連続だった。
これが赤ちゃんというものなのだ。
第2子でようやく現実を知る。1人目のランは例外も例外、ラッキーだっただけなのだ。
私は当然寝不足続きで体調は崩れ、イライラしやすくなった。いわゆるマタニティブルーもあった。
義母がたまに来てくれた。しょっちゅうランを預かり、世話してくれてもいた。食べきれないほどの大鍋料理を作ってくれて戸惑うこともあった。市場で買って来たかたまり肉などのスープだ。私一人だと一週間ほどかかりそうなので、リーに応援を求めたりした。
義母はまた、産褥期は大切だと、漢方薬の店が一ヶ月ほど薬膳を自宅に配達してくれる手はずを整えた。まずくはないが、黒い怪しげな液体もあり、半信半疑でいただいていたが、最も効果が顕著だったのは肌がツヤツヤになったことだ。あれはありがたかった。かなり高額な漢方薬だったにちがいない。
あの1月末から2月初めは寒波が到来した。
一度前向きになっていたソウル転勤の件、リーはやっぱり断ると言い出した。