ママもがんばるよ、ラン。
英語漬けだった私が中国語に飛び込んだのは22歳の時。
そして、二胡は36歳の遅いデビューとなったが、一生続ける気持ちがあったし、それまでやれば何とか板についてくるだろうと期待した。
かつて中国語に魅せられ、恋に盲目になった如く夢中で勉強した時に似たときめきと出逢いを感じていた。
蔡老師と相談の結果、授業は毎週木曜日午後4時からの一時間になった。義母がランを預かってくれるのが基本的に木曜日だった。
初日は3時20分には教室へ着いた。受付女史とは顔なじみになり、話をするのが楽しかったし、教室にはたくさん音楽や楽器に関するグッズがあり、飽きなかった。
あとで考えて思ったのだが、二胡を習うにあたって、言葉の心配はまったく頭に浮かばなかった。日常生活では使わない専門用語や、初めて耳にする単語はあるだろうが、不思議と不安はなかった。
蔡老師はバイクで移動する。私以外にも生徒がいて、学業の傍ら、しょっちゅうバイクで二胡を教えに奔走していた。
さあ、いよいよレッスン。個室に入り、怖々と二胡を持つ。
まずは松脂の塗り方や、竿と弓の持ち方から教わる。
蔡老師は熱心でまじめ、その日は30分ほど時間を延長して教えてくれた。老師が教室からもらう報酬は一時間分なのに、彼女はその後も、キリのよいところまで教える熱い態度を貫いた。