義父の世話係だけに限らず、リー家には血縁関係がなくても、親戚同然のつき合いをしている人たちが何人かいた。たとえば、義父と親しかった友人の娘とか、義父が結婚に至る出会いを取り持った夫婦とか、義母の遠い親戚にあたる家の息子で、家の事情で学生の頃しばらくリーたちと同居していた青年とか、である。
それは、日本人の私からすると、感心するほど厚い友誼に満ちたものにしばしば映った。結婚や仕事の都合で、その種の知人たちが香港やアメリカにもいるのだが、時々台湾に里帰りする際には義父母の家に数週間居候することは珍しくなかった。台北に息子家族がいるが、義父母宅の方が広いし、かえって気兼ねしないで済むから、という理由が成り立ってしまうのである。
ふつう日本人なら、我慢してでもまず家族のいるところで寝泊りするだろう。ましてや数日だけではないのだ。長い時は一ヶ月ほど滞在する人もいる。
そこが中国人のすばらしい気質のひとつかもしれないが、とにかく是非は問わず、私には新鮮にさえ感じるナラワシだった。
義父はそれらの女性たちに見守られ、そのうち2人部屋から6人の大部屋に移され、治療を受けていた。
私ももっと看病に行くべきではないかと悩んだが、ランの世話があるため、もとからあてにされていないようだった。
時々見舞いに行くリーは、大部屋への移動は医者が事実上匙を投げたことの現れだと言った。
新薬の副作用はどんどん義父の身体を蝕み、腫れや皮膚のただれは彼の人相をも少し変えるほどだった。