「この子の日記を書きたいの。ノートはできるだけ可愛いのがいいな。」
日記用具一式は準備していなかった。だが、出産を終えて、「今」の気持ちを記しておきたくなったのだ。
朝食は麺線(いわゆる素麺)に豚レバーの薄切りと目玉焼きがのったものだった。私は半ベジタリアンで、朝から肉を食すことはほとんどないが、産後の栄養が計算されたメニューなのだろうし、かなりの空腹で、ぺろりと平らげてしまった。
そうこうしているうちに、リーが近所の文具店で希望の品を買ってきてくれた。
それから、出産費用やその手続、自然分娩ゆえ入院は三日間で、その後階上の産後ケアセンターに移動して療養する按配を病院側と進めてくれていた。
私はだるい身体をさきほど縫合した傷口の痛みに顔をゆがめつつ少しずつ動かし、なんとかひとりで事を足すことができる程度だった。ベッドに横になろうと腰掛けても、片足をベッドに入れようとしても、やっとお尻がのり、さあ横たわろうとしても、動きのたびに身体を突き刺す激痛が走り、まさに拷問の苦しみである。
トイレはどうなるのだろう、、、、、、 深刻な問題が浮かび上がる。この傷口で、用を足せるのだろうか。病室内にあるトイレへ行くのさえ億劫なのに、、、、、、、
困った。陣痛に劣らぬ難関がまだ潜んでいたのだ。
それでもランが気になる。4階新生児室にいるはずだ。
「極力横になって休んでください」との忠告を無視し、私は遅々とした歩行で4階に下り、保育器にいるランを何度も見に行った。中国語名はシュンランだが、日本名はランにする予定だった。
私に気づいた看護師がランの保育器を私が見やすい角度に変えてくれるのがありがたかった。