座席位置の高い黒のパジェロに這い上がり、後部座席からリーの運転や道路状況を見る私は不安でたまらなかった。パジェロはリー憧れの車で、結婚し、子供も生まれるというのでようやくその春手に入れたばかりの愛車だった。
珂産婦人科までは渋滞しなければ車で約10分ほど。その夜も、近くてよかったあ、と大いに実感した。思えば、ついさっき来たばかりの馴染みある界隈に戻ったのだ。
リーと私は正門向かって右横の通用口みたいな小さな扉から中に入り、エレベーターで3階へ上がる。さすがに産婦人科、中は明々として夜勤で詰めている看護士が数人いた。
そのうちの一人に、私はいわゆる「お産着」みたいな薄手のガウンのようなものに着替えるよう言われて、痛みをこらえ身支度した。
そして、分娩室にいちばん近いベッドに横になり、リーとともに看護士の指示を仰いだ。ベッド右横には何かの値を計り、示すテレビのような装置が持って来られ、看護士は数分おきにやって来てはゴム手袋をキューキューとはめ、子宮口がどれくらい開いているかチェックした。最初はこのチェックが痛くて閉口したが、お腹や腰の痛みがさらに増したせいか、だんだん耐えられるようになった。
「あの、陳医師は、、、、」
「もう連絡しました。もうすぐ来ますよ。」
ホッ。
「あの、、、だいたいいつ頃生まれますか?」
これはまぎれもなく陣痛だったのだ。
「さあ、5時頃かなあ」
は? 5時?
看護士が言う5時は、もう数時間後のことだった。
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