2009年01月30日

いろんな自分

安静に徹したことが功を奏したのか、しかるべき定位置から下りて来ていたお腹の子がまた上がって来て、早産の危機は8月末に去った。
羊水検査の試練をともにくぐり抜けて来た母子のつながりは、いっそう強くなったように感じられた。
私は気分が比較的良い時に、フエルトやタオルを用いてよだれかけや動物のマスコットなどを縫ったり、義母に教わって乳児用襟巻きなどを編んだ。よだれかけにはそれぞれちがうデザインの刺繍をしたりして楽しんだ。
思えば、子供を産んでもいいなという気になってきたのは30を過ぎてからで、仕事や世界のあちこちを旅するのに忙しかった20代には出産なんて考えられなかった。幼子を連れている女性が気の毒にさえ見え私に子供を育てる能力が備わっているとも、どうしても思えなかった。
だから、自分の変わり様が意外で、気恥ずかしさすらあったが、絶望の淵に立ち、毎日泣きに教会へ通った一時期を思うと、神様はこんな私を信じ、尊いいのちを預けてくれたことに感謝感激であった。
毎日何度もお腹の子に話しかけ、安眠を妨げられても、元気にお腹を蹴られると安心した。安定期を過ぎても流産の可能性は0ではないし
出産時も油断は禁物だ。
買物に出かけると、見るからに重そうな買物袋を提げていたり、大きなお腹で上の子らしい幼児を抱き上げる妊婦さんを見かけ、えっ?そんなことして大丈夫なの?とヒヤヒヤしたものだ。私は道を歩く時ものっそりのっそり転ばないよう注意していたが、妊娠中も登山やバスケットボールなどの趣味を続けていた友人がいたわよ、という話も聞いたので、どこまでが安全で何が危険なのか定かでない。
神経質に思い悩む自分と、万事なるようにしかならないのだと開き直る自分の二役を演じつつ、妊娠後期に突入した。
posted by マダム スン at 05:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 台湾の家庭に嫁ぐ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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