その頃でも、私は午前中べったり床に臥せて休んでいたので、早朝起床し、遠路空港まで行くことだけでもつらいことだった。
気分は悪いし、重い荷物は持てないので、リーが来日した時送ってくれた従兄に頼み、父も付き添って空港へ向った。
チェックインカウンターで私が妊娠していることを指摘され、いくつか質問されたがパスし、搭乗ゲートまでトコトコ歩いた。
機内はがらがら。数えるほどしか乗客はいない。航空会社に申し訳ない気分になる。
私はまばらな乗客の最後列の席を取り、マスクをして座った。客室乗務員がマスクをほぼ強制的に配り、着用させている。SARS流行のせいで、客室乗務員が感染したり、仕事を減らされたりしているニュースは知っていたので、同情もした。
また、誰かの咳払いに身を硬くし、近年に経験したことがない揺れにぞっとしながら、祈るような思いで2時間を耐えた。何が何でもお腹の子を守るのだ、との強い使命感は、妊娠中からもくもくと膨らみ、私を母親に作り上げて行った。
我が子が私のお腹の中で成長する過程もそばで過ごしたい、と望むリーは、私の帰りをとても喜んだ。
そして、職位が高く、会社は自宅に近く、勤務時間の融通もある程度利く彼は、その後定期健診のたびに自宅マンション下まで車で帰って来て、産婦人科までの送迎を担当するようになった。
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