2009年01月22日

無常を知ること

往々にして、実家と言うのは居心地が良いものだ。それは、私がひとりっこで、何歳になっても実家に帰ればきょうだいやその連れ合いに気兼ねする必要なく、幼少時同様にしていられるからだとも心得ている。重責を強いられて不自由ではあるが、負の面ばかりではないことに気づき、感謝の念を忘れてはいけないと思う。

航空券は6月24日を予約した。無論、簡単に席は取れた。
いざ離れるとなると、実に名残惜しかった。悪阻に苦しんだ日々も、それなりに対策を練り、何とか過ごしてきた。運動不足になってはいけないと、愛犬ハナの散歩は私が買って出た日課で、春から初夏ののどかな田園を貫く細い道を毎日歩いた。つくし、たんぽぽやれんげ、うぐいすの声、はらはらと舞う蝶々、雨の匂い、アジサイ、夕焼け、お寺の鐘の音、、、、、、 時折お腹の子に話しかけ、温かな心地よい空気を深呼吸して歩いたものだ。
無常というものを悟ることは、考えているほど容易ではない。
それだけ呑み込み、納得するに難しいものでもある。
私は高校入学時以来、旅も含めて、頻繁に移動、転居、引越しなるものを繰り返してきた。身を置いたその地を離れるたびに、様々な想いが去来し、胸をざわめかした。
劇的でも、華やかでもないが、私はそういう場面から、無常の何たるかを少しずつ少しずつ学んできたように思う。いや、学ばねば、その時のまさに胸張り裂けそうなあふれる慕情に対処する術がなかった。
posted by マダム スン at 05:38| Comment(0) | TrackBack(0) | リーと歩き始めて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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