調べてみてわかったのだが、国際結婚には必須といえる書類の一つらしかった。これを居住している市で最大の警察署に行けば取得可能だろうと高をくくっていたのだが、絶対に各都道府県の検察本部に本人が出向かねばならなかった。
なぜ、この書類の申請が億劫だったのかと言うと、犯罪歴があるからではない。またしても、悪阻だ。
不思議なことに、私は妊娠中一貫して、乗り物に長時間乗ると悪阻が重くなり、その翌日はほぼ終日ダウンするのだった。もちろん当日車中でも具合が悪いし、万一の時に備えて近場に出かける時でもビニール袋を持参していた。
だが、いつまでも延期するわけにはいかない。当初、日本滞在は一ヶ月ほど、とリーと話しており、じわじわと彼の帰って来いコールが真剣味を帯びてきたのも気がかりだった。悪阻もSARSの猛威もおさまらず、そのおおよその予定を大幅に変更していたのだが。
思案の結果、電車ではなく、父の運転と母の付き添い、まさに家族総出の県警本部出動となった。胎動に気づいた、6月上旬のことである。
私は後部座席にうなだれるように座り、長旅の不安に沈んでいた。
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