ズラリと列挙されたリストからまたもや和平病院を選び、こんなことなら産婦人科を受診した際、ついでにやっておけばよかったと悔やみつつ、「妊娠中ですので」とレントゲン等を省く検査を受けた。
診断書発行に一週間かかると言われ面食らったが、飛行機の予約を入れていた9日の前日には無事受け取ることができ、ホッとする。
リーはたまたま本社での仕事が多く、こういう家庭の事情もあることで、通常より長い台北滞在を許されたので助かった。9日私を空港まで送り、翌日の10日に彼は渦中の香港に舞い戻った。
リーは4月末日まで香港勤務、5月1日に台湾復帰と決定した。会社としてもSARSの流行は気に留めていたはずだが、業務運営を停滞させることはできないところだった。身重の私なら、悪阻の苦痛と感染の恐怖から気が狂いそうになったろうと思うが、リーはそれなりの対策を採り、淡々と暮らしている様子だった。
実家に帰り、気分的には落ち着いたが、相変わらず私は胃を刺すような吐き気に連日苦しんだ。朝起床すると、夜就寝するまで、母屋に敷かれたこたつに横になり、終日休んだ。いや、洗面や手洗いなど基本的な動作以外何もできず、起き上がれなかったのだ。