リーが次に定例会議出席のため台湾に帰るのが3月27日になっており、その際に私も同行することになった。
私はそのまま台北の自宅に留まり、リーは4月に再び香港に戻って月末まで支社長を務め、課せられた任務を果たし、懸案を処理しなければならなかった。
もう少し早く決定してくれていたら、と会社を恨む気持ちがなくもなかった。複雑な心境。香港でしばらく暮らすのだと、それなりに覚悟し、準備していたのもあるし、一方で身重ゆえいっそうSARSの蔓延が恐ろしくもあった。台湾に逃れるのも得策ではあった。
しかし、である。SARSは熱が37度以上ある患者からしか他人に感染しないと言うが、密室である飛行機内で広がる悪例がたびたび伝えられていた。香港ー台北間の飛行時間は一時間ほどであるが、それでも感染の危険性と、それ以前に重症の悪阻の苦しさを考えると、台湾までの移動自体が億劫で、不安が尽きなかった。
リーは外出時は必ずマスクを着けた。SARSが疑われた同僚は「白」でひと安心したが、バスでも地下鉄でもマスクをする人の数は日に日に増えているようで、毎日公共の場に出なければならない彼の身を案じた。ニュースではアジアにとどまらず欧米などにも患者が出たと報じている。米国ブッシュ政権がイラク攻撃を始めたのもその時期で、世界中が不穏な雲に覆われているような恐怖を感じた。