ある夜、彼のオフイスでもSARSを疑われるような風邪をひいたスタッフが出たと言う。要検査で未確定だが、明日から彼もマスクをして出勤することになった。街中でもマスクをしている人がだんだん増えているらしかった。
そんな物騒な折、リーの携帯が鳴った。週末の午後だったと思う。聞いていると、どうやら台北本社の誰かからだ。同僚だった幹部たちの名前もちらほら出て来る。
それはなんと、リーに台北本社復帰を打診する電話だった。
台湾へ帰るの?
リーよりも私の方が混乱した。あと少なくとも1年は香港駐在だろうと言われていたにもかかわらず、4月いっぱいで香港から帰れという。
私は既に家財道具の5割近くを持ち込み、日本でミニ披露会をし、香港入りしてからまだわずか2週間ほどしか経っていなかった。はあ?
SARSの流行が深刻化してきたため、私たちに「避難勧告」でも出たのかと思ったが、あくまでも香港支社運営上の会社の戦略に過ぎなかった。
私の狼狽をよそに、リーは冷静で、むしろこの急な決定を好機ととらえているようだった。妊娠している私を言葉が通じ、健康保険が利き、他の家族もいる台湾に帰したいと考え始めていた矢先だったからだ。