2008年12月07日

教会に帰りて想う

今の中国語に近いほど話せた英語力の低下にあらためてがっかりはしたが、もうひとつの居場所ができ、英会話学校は精神的にはある程度支えになった。割安な授業料一年分一括払いで、その期間中はどこの教室のどのレッスンにも参加可能で便利なのもうれしかった。
それから、高校卒業後疎遠になっていた教会へも、引き続き足繁く通った。何姐に勧められ、ミサや聖書講読の会にも時間が許す限り顔を出すようになった。おかげで、学校や会社ではなかなか知り合う機会が少ない、自分より年上の、教養や良識もある人たちと接する幸運にも恵まれた。
私は長く、教会を離れていたことを悔やんだ。その間、2度もカトリックの総本山であるヴァチカンを訪れ、サンピエトロ寺院やヴァチカン美術館の息を呑む天井画に感動したにもかかわらず、肝心な教義にもっと近づこうとはしなかったことに懺悔の念すら湧いた。
だが、それでも洗礼を受けようとは思わなかった。のちに仏教に関する書物を読み漁り、般若心経に心奪われたこともあったが、完全に仏教思想を芯に置き、生きて行こうとはまだ思えないのと似ていた。
なぜだろう。きっと頑固なのだ。いや、疑い深いのか。
おそらく、何かひとつ特定の思想や宗教に属すことを潔しとしないせいだ。それは書くことを愛するところからも来ている。書く者として、常に偏らず、自由かつ広い器に身を置きたいという、ひよっ子ながらのこだわりでもあった。
posted by マダム スン at 09:00| Comment(0) | 再び台湾へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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