そして、その後も私は長い間一時帰国しなかった。できなかった。一年ほど後、父が肺炎で入院した知らせを受け、ようやく10日間ほど日本に戻っただけだった。
故郷はやはり、愛すべき、愛しい場所だった。父と母もいた。あの山々や田畑の懐に抱かれたら、きっと癒され、傷の治りも速くなるように思えたが、愛しいところだからこそ、元気な、少しでも晴れやかな気持ちで帰りたかった。そんな状態になるまで待っていたのだった。
シスターは聖書のある箇所を引用しながら、私は赦されたと言ったが、その後も私は、自分が自分を赦せず、この半生で最も大きいといえる傷を心に負ったまま、なんとか生きてはいた。夜、ベッドに入るたび、明日目が覚めなければいいのに、、、と思った。泣かない日はなかった。
それでも自らこの世を去ることを踏みとどまらせたのは、私が逝くと悲しむであろう父と母の存在のみだった。
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