彼女の助力のおかげで、あの暑い夜から約2ヵ月後、八里という台北から電車で一時間ほどの風光明媚な町の修道院に暮らすシスターと会うことができた。シスターの主な出張先は中国だったが、台湾国内でも地方をまわるお務めもあり、なかなか面会はかなわなかったのだが、祝日である10月10日に時間がとれそうだと、シスターの方から電話をかけてくれた。
思いがけず、修道服を召さない、60半ばを過ぎたかと思しき、とても小柄なシスターの部屋で、私は一時間ほど話を聞いてもらった。私は、両親や長年の親友にも話せなかったつらいつらい出来事を、泣きながら打ち明けた。それは今でもごく近しい者でさえ知らないことである。
シスターにもいまだに気をかけてもらい、メール中心だが連絡を取り合っている。ありがたいことだ。
何姐は80歳を過ぎた母親の通院や世話に仕事に多忙だが、数ヶ月に一度は私が訪ね、話をする。何でも話せる知人の一人だが、あの事はやはり言えずに月日は流れた。
そして、なぜ何姐が23年もの間教会を離れ、また、なぜ戻ってきたのかを訊いていない。私たちは互いに「訊かないこと」で相手を尊重し、互いの痛みを共有している同志であるように思う。
【関連する記事】