私は10時から正午の授業を取り、その後出勤した。朝電車で登校し、お昼はバスや電車で会社に向かった。会社まで最短のアクセス方法を探し当てるまでしばらく時間を要したが、安く、乗り換え無しで行けるバス通勤に落ち着いた。正午前後はバスも空いていて快適だった。
前大家さんの紹介で面接を受け、採用されたのは台湾のオンラインゲームの製作や配給を担う若くて急成長中の企業だった。この業界では珍しくはないが、例に漏れず、社員の平均年齢が20代という、とんでもない会社だった。いや、何もとんでもないわけではないのだが、当時私はその年齢を優に過ぎていたため、なんとも複雑な思いだった。
社長でさえ私より3歳ほど年少だった。
ゲームのことなど素人中の素人だったので、入社後は戸惑いとプレッシャーと緊張に苛まれた。まず、パソコンのいろはから教わらねばならなかったし、翻訳の作業もあり、より高度な中国語能力を要求された。
当時で300名ほど社員がいたが、全員のデスクに会社から支給されたパソコンが座っていた。メカ音痴の私も、ネット化される時代の流れに否応なく呑まれることになった。
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